面会交流・面接交渉の判断基準
面会交流調停や審判はどのような感じですか
改正民法では、面会交流に関する規定が設けられました。分かりやすく言えば、離婚後も、主には夫がこどもに会えるようにするための制度として機能することが圧倒的といえると思います。 もちろん非監護親が監護親に対して面会交流を、求める事件がほとんどですが、他方で監護親が非監護親に対して面会交流禁止又は制限を求める事件もあります。 カバチタレ!でも面会交流が取り上げられたことがあるようですが、漫画で描かれたように高葛藤の元夫婦がイライラした感じで公園で1時間遊ばせる、というものが面会交流といえるかどうかは分かりません。その場には行政書士も立ち会っていましたが、高葛藤ながら示談で離婚が成立した場合は面会交流に弁護士が遠目で見守っている、という司法ケースワークを行うこともあります。試行的な面会を法律事務所で行うこともあります。もっとも、年齢的なもので、プレイルームのような場所の方が面会には向いているかもしれません。 背景としては男性の親権取得率が下がっているところがあるかと思います。昔は離婚の際、親権は、こどもは家のものという発想が強く5割を超えていた時期もありました。したがって、母親の面会交流が問題となっていたのではないか、と考えられますが、基本的には昔に面会交流というのは、面接交渉も含めて行われていなかったように思います。 しかし、男性の親権取得が1割を切るにあたって、離婚の際は、判断枠組みが比較的見通しが聴くようなこともできたことから、面会交流制度に本腰を入れる必要性に強いられていると思います。具体的には、自発的面会交流が途絶えた、感情的理由よりシャットダウンされている、再婚し養子縁組をされた、別居中の面会交流―などの場面に遭遇します。しかし、私が学んだのは、人間関係というのは、個別性があるということ。母に引き取られた息子が父が嫌いとか、父に引き取られた息子が母が嫌いとか、そういうことはないと思います。 とはいうものの、こどもは可塑性に富んでいるので、PASといわれるような母親の嫌悪感を受け継ぐような状態になることもあります。こどもとしては、そうせざるを得ないようなところもあるかもしれません。例えば、最近の親権者変更では、父と交流する息子は父の価値観を引き継ぐようになり、ある意味「父」になってしまい母と喧嘩が絶えず、離婚ならぬ親権者変更となる、ということもあります。そういう意味では、よくもわるくも朱に交われば赤くなるということで価値観の引き継ぎは起こります。 父の方も、面会交流をこども本人から嫌悪感を示されてまでやりたいというのは少ないでしょう。 別に養育費と連動しているわけではありませんが、養育費を支払わない父が面会交流をもとめることは経験的にほとんど駆け引き的なことを除いてはありません。 私は、「普通」の弁護士に離婚の依頼したため不幸になった、あるいは離婚不幸の度合いを強めた方を多くみてきました。人生は戦わなければならないときは戦わなければなりません。当事務所の理念は、「強い者にも勇敢に挑む」「難しいところを狙いにいく」ということをあげています。こうした点は、当事務所の男性弁護にいかされています。 ヒラソルの代表弁護士の弁護士経験を活かして、事務所の理念に基づいて、離婚相談等を通じ依頼者の不安や悩みを解いて幸せを増やす愛知・名古屋への社会貢献を目指します。 勇敢さと戦略離婚・男女問題の解決目的を定めて、その目的を達成できるよう依頼者の方のパートナーの弁護士として、離婚紛争を解決することを通して依頼者の幸せを増やすお手伝いをさせていただくとの考え方で、愛知・名古屋の離婚・男女問題に特化して60分無料離婚相談を行っております。
柔軟性に乏しい面会交流条項
面会交流は強制執行をすることはできません。したがって、最終的には監護親の善意に支えられている制度といえるかもしれませんが、私見は、立法政策論として、子の引渡しでも古くは強制執行はできないとされていたものの、今や子の引渡しの強制執行は普通に行われています。そうであれば、量的に少ない面会交流についても直接強制の強制執行をすることを認めても良いのではないかというように思います。現在、面会交流について判断基準が確立しつつありますが、強制執行ができないところが、なかなかあまりブラッシュアップしても意味をなくしている理由になっているのではないかと考えられます。 ただ、面会交流は別居中に決まったものであっても、その取り決めは離婚後も有効ですから慎重な検討が必要です。
家事調停実務の実情
調停も審判も同じ面会交流を問題にするのですから、基本的には同じ要素が考慮されるといってよいと思います。 子の福祉の観点から、面会交流の禁止・制限事由がない限り面会交流の円滑な実施に向けての審理・調整がベースラインになっているといわれています。 しかし、実際のところは、調査官調査による調整は父母間の葛藤レベルを中心に決めているといわれています。したがって、家裁調査官としては、インテーク(見立て)を行い調整をするか、却下するかを判断します。実施方向で調整しできませんでした、とならないように家裁調査官はかなり恐れているようです。たしかに会えそう、と調整していたのにできなかったとなれば、非監護親から批判を受けてたりすることもあるでしょう。したがって、意外と葛藤レベルや係属している訴訟の数や調停の数などから、調整方向が決められています。たまに弁護士の書面に非監護親の連れ去りのおそれが高い場合、非監護親の子の虐待のおそれがある場合、監護親に対する暴力がある場合、子の拒絶以外は原則実施、と記載されているものもあります。 しかしながら、現実の調整活動は、調査官の中には「面会交流なんて、感情的な調整」と言い切る者もいるように、父母間の葛藤を中心に据えて判断をされていますが、それでは子の福祉から光を照らしていることにならないので、公式にはいわれません。しかし、現実には、上記の拒否理由は、調査官が関与しない事件での調整活動での調停委員での振り分けに活用されている程度で、実際は父母間の葛藤レベルから見立てるというのは変わりません。したがって、いつまでも攻撃的な非監護親というのは、なかなか上記の面会交流拒否・制限事由がなくても、調査官の「裏マニュアル」であるとか、「子の拒絶」に父母間の葛藤を落とし込んで藉口するといった技をつかって却下するということは、しばしば行われています。 他方、「結論ありき」で面会交流を実施させようとしていると主張する見解もありますので、各地によってその実情は様々なものがあるように思われますが、支部の方がていねいという印象はぬぐえません。これも偶然的要素がありますが、父母間の葛藤があるだけで却下方向で全く調整しない調査官もいますし、逆に子の拒絶も、男性である自分たる調査官と遊べたから父とも遊べるから子の拒絶はない、という謎の意見を書いた調査官もいます。しかし、気持ち悪いのは、原則実施説でも、血縁上の親と面会交流拒否・制限事由がないにもかかわらず、これを実施しないことこそ子の福祉に反する、との調査官意見がありました。しかし、血統主義のようで、あるいは優生思想のようで、気持ち悪い調査官報告書でした。あくまでも感情的、情緒的結びつきを重視しなければ、良い結果は生まれません。ましてや血縁上の親だからという理由だけで、原則実施になることは絶対にありません。子どもの立場にたってポジティブな影響を与えられるかによると思われます。 調停委員でも原則実施説の人やそうでない人まで様々です。揺り戻しもあり、偶然の要素に左右されるところが大きいと思います。
審判ではどのような考慮がなされるのか
審判は、一般的には調停よりも考慮要素が多く、非監護親が面会交流をもとめる目的、非監護親の人格的偏りや反社会的行動など非監護親側の事情、父母間の過去の紛争の経過、子の心身の状況・子の意思・年齢、監護親側の葛藤などの事情を具体的に検討することが多いと思います。これをみると、審判になると、必ずしも調停の基準よりもかえって厳しくなっていることが分かりますでしょうか。しかも、目的、人格的偏り、紛争がどれくらいか、葛藤状態というのは、主観的な判断が中心になります。したがって、人格の据わった裁判官にあたらないと、主観的要素はいかようにも解釈されると思います。 1 目的 目的はこどもと逢いたいということでしょうが、嫌がらせ、復縁などの不当な目的がある場合は、面会交流は制限されます。しかし、臨床心理士が指摘するように監護親は、面会交流に応じることは感情労働的側面があるという見解がありました。ですから、葛藤状態が高ければ、裁判所から目的も「嫌がらせ」と判断を受けやすくなるでしょう。 2 監護親側の事情 非監護親側の事情として、覚せい剤取締法違反、面接禁止の仮処分に違反するなど著しい反社会的生活態度がある場合、面会交流は制限されます。しかし、弁護士の立場からすると、覚せい剤の弁護人など何度でも務めるのですし、面接禁止の仮処分はちょっと行き過ぎたという程度でも発令されることがあります。したがって、「著しい反社会的生活態度」といっても、内容は主観的なように思われるのです。例えば意向に反してスプロール的に面会をしたり、外で見ようとしただけでも事実上「著しい反社会的生活態度」と判断したに等しい審判例もあります。 養育費を支払っていない場合は面会交流は制限されます。対価関係に立たないにしても、権利濫用と考えられるからです。実際、養育費を支払っていない親が面会を求めてくることはほとんど経験としてもありません。 3 父母間の葛藤 この点が、もっとも問題だと思います。調停では、父母間の葛藤は、考慮要素から外されています。したがって、父母間の葛藤というのは子の福祉からは外されているのです。ところが、調停から審判になると父母間の葛藤は中心的論題となります。基本的には、裁判所は面会交流について、父母間の葛藤などの問題性が高い場合は却下している例もありますが、司法ケースワークの立場からは、父母間の対立の鎮静化に努めるべきように思います。審判も、司法ケースワーク的機能を十分発揮して民事司法の裁断をするだけで終わってはならないと考えられています。 4 最近はケースワーク的立場から東京家裁の機械的実施説と比較して、実質面をみると否定されるケースが強まっているのではないか、と思います。 例えば、こどもの心理的安全が守れること、監護親の心身の健康と情緒的に安定が損なわれないこと、こどもの確固たる拒否がないこと、こどもに向けた別居親の悪口など操作によって監護親とこどもの関係が悪化しないことがいわれるようになっています。 5 揺り戻しの影響で、面会交流がこどもの害になる場合は行うべきではないとの主張も勢いが出てきます 子にとって害のない面会交流がじつげんできるのかどうか慎重に判断がなされるようになってきています。