名古屋ヒラソル離婚法―面会交流の問題点
名古屋ヒラソル離婚法―面会交流の問題点
1 面会交流って何ですか。
子のいる父母が別居し、又は、離婚すると、子は父又は母の一方により監護されることになりますが、他方の子を監護していない親を非監護親と呼び、同人が子と直接に会い、又は電話や手紙、メールなどを用いて定期的、継続的に交流することを面会交流といいます。
近時、我が国の単独親権制度の弊害が指摘されるにつれて、面会交流権の保障すら貧弱な状況が国際的な非難を浴びたり、少子化の影響などで、面会交流に対する関心そのものに反射しているものと考えられます。
しかし、面会交流は、離婚した父母の仲が①良い、②普通、③悪い―のうち、①の場合には父母のコミュニケーションがとれる一方、③の場合は父親の方が面会交流を望まない可能性が高く子の権利の確保の観点から面会を確保していく可能性があります。もっとも、目下問題になっているのは中間的な②の普通のハレーション状態がある場合、父母の面会交流に関する理解の不十分さ、従前の親子関係の観点、社会的支援の不足など、調停が申し立てられても1年以上も何らかの決定がなされない状態も常態化しています。
最近では、共同親権が単独親権になる離婚の和解の際、事件を調停に付した上で、面会交流を盛り込んだ調停に代わる決定をする例も出ています(東京高裁平成27年8月11日)。
2 面会交流―親との別離による子への影響
短期的には、別離によって、忠誠葛藤、対象喪失、否定的感情、身体反応、学業不振、攻撃言動などが、長期的には、親密性へのおそれなどの影響が生じることが指摘されています。具体的には、仮定への居心地の悪さ、他者との距離感のとりかたが分からない、異性と親密になることへのおそれ、結婚へのおそれなどの影響が考えられます。
面会交流は、子の福祉の観点からも、親から愛されていることを確認したり、親離れを体験としてしたり、親とは異なる自分らしさの発見などの意義があると考えられる。子の福祉という概念は父母子の三者の利益を調整するものであり、監護親が自己の感情を理由に否定したり、子の上記のような可視化されにくい利益、非監護親の子に会いたいという感情を調和的に行う必要がある。こうした影響を最小限にするためには、迅速に面会交流を行うのが肝要である。
現在の家裁実務は、「子の福祉の観点から面会交流を禁止・制限すべき事由」、踏み込む審判例では、「子の福祉を害するといえる特段の事情」を求めるものもみられた。もっとも、こうした中で、「子の福祉」とは上記のとおり父母子の利益調整であって、かつ、非訟事件であることに照らして第一審裁判官の家族観に左右されながら、面会交流の禁止・制限事由を最重視しながら、事案全体に現れた諸事情を総合して判断をするものの、欠損家庭出身の裁判官などは、面会交流を却下しがちなど今後も、非訟ゆえルール化が難しいところの動向に注視する必要があると思われる。
3 面会交流を断れる場合や制限できる場合
面会交流を禁止・制限すべき具体的自由としては、一般に非監護親による子の連れ去り、非監護親による虐待のおそれ、非監護親による監護親に対する暴力、子の拒絶が挙げられている。
ただし、子の拒絶については、実務感覚では10歳程度からその意向や態度を表明することが尊重されるものの、子の年齢、発達の程度、拒絶の実質的理由ないし背景を把握し面会交流に対する真意を判断するものとされている。したがって、子の表面的な意向や心情が重視されているわけではない。
また、家裁実務では、監護親から、面会交流を実施することによって、子に情緒的に不安定な症状が出る旨が主張されることもしばしばみられる。しかし、まず、監護親の情緒的不安定は名古屋高裁金沢支部の決定の中に「通常甘受すべき負担」と指摘するものもあるほか、こどもについては、「面会交流によって生じるおそれがある未成年者の情緒的不安定や不適切な症状に対しては、相手方において適切に対応することによって収束する可能性が十分にある」(大阪高裁平成22年7月23日)との指摘もされている。
4 父母への適切な親教育―働きかけ
面会交流は、子の人格形成に影響を与えられるべきものであるから、少なくとも流動的とはいえ、発達の程度に応じて高校生程度までは継続されることが望ましい。しかし、幼児期に父母が離婚している場合など、面会交流を長期的かつ継続的に、安定し実施し、かつ、父母子の利益を調整する流動性も担保することになることになると、父母の協力が不可欠といえる。
これまで多くの事案では、従前の夫婦関係において対立が先鋭化していたことから、監護親が非監護親に対して、信頼感を喪失させていることがみられていたものの、こうした場合の面会交流は、遅かれ早かれいつかは潰えて「絶縁」に至るのである。現実には、中間的なしばしば口論が起きる程度の中間ラインのもので、もみ合っている案件が最も多いように思われる。
こうした理論的視座からは、監護親は、面会交流を何らかの取引材料程度に考えているケースも散見されるところであり、例えば長男が、非監護親の自宅に移転したところ、監護親が報復として二男の宿泊付面会交流をさせないことなどが実務上みられる。単に大上段の「信頼関係の再構築」というよりも、親として通常甘受すべき負担はこどもの利益のために甘受しなければならないという法意識の受け入れを求めることの方が急務のように思われる。そして、面会交流を通じて「やられたらやり返す」のような報復の材料として利用する幼稚な者は監護親、ひいては親権者としても相応しくないという判断が、将来的になされることも考えられよう。
5 調停・審判における面会交流の内容
面会交流は、子の福祉の観点、言い換えると、父母子の利益の調和の観点から、長期的、継続的、安定的かつ流動的に実施されることが求められています。
面会交流については、禁止・制限事由がないにもかかわらず、監護親が、合理的理由なく面会交流を拒否している場合は拒否型として間接強制可能な形式によるのが妥当であるが、それ以外の場合は一般的条項によるのが適切とされています。
6 強制執行について
面会交流については、直接強制はできあいものとされており、一部給付が特定されている場合のみ、間接強制が認められるものと考えられています。
面会交流が、性質上、間接強制ができないものではないとしても、強制執行が認められるためには、給付内容が特定されていなければならない。
これについては、最高裁は、「監護親に対し非監護親が子と面会交流をすることを許さなければならないと命ずる審判において、面会交流の日時又は頻度、各回の面会交流の長さ、子の引渡し方法等が具体的に定められているなど監護親がすべて給付の特定に欠けるところがないといえる場合、上記審判に基づき監護親に対し間接強制決定をすることができると解するのが相当である。」と判示したと思われます。
基本的に、「面会交流の日時又は頻度」、「各回の面会交流の長さ」「子の引渡しの方法」の3要素が特定されることが必要とされたものと理解できる。しかし、更に、この特定については、「特定を比較的厳格に考えていることがうかがわれる」との最高裁調査官解説が付されていることも留意されるべきである。
なお、最高裁の判決は、いずれも10歳を超える子を対象とする事案であるところ、10歳を超える子に対する間接強制決定を認めたことも注目に値するところといえます。
7 間接交流の定め方
子の福祉の観点から、面会交流を禁止・制限すべき事由があると認められる事案においても、親子の交流を全面的に禁止すべき事由までは認められない場合は、家事事件の実務では、子と非監護親との将来の交流のために、手紙、写真、DVDを親と子の双方が送付することにより交流を重ねる間接交流を約することも行われています。
面会交流については却下案件もあるが、子に直接働きかけるわけではない、間接交流について禁止することは特に慎重でなければならないものと考えられています。