送り出す側の不安―面会交流
中日新聞が別居後、主には離婚後の面会交流をとりあげています。
複雑な監護親側の心情などが取材されています(12月8日付)。
しかし、やはり複雑というのは、良いという気持ちと悪いという気持ちが織り交ざるという意味でしょう。
女性は、会わせたくないという気持ちとこどもには父親は必要という想いの入り混じりもそれにあたるかもしれません。
面会交流の監護親について参考になるのは、やはり時間が解決するという点です。
「面会交流の日が近づくと嫌で嫌でたまらなかったが、最近は特に気にならなくなった」「担任にもっとお父さんに会いたいといっているらしい・・・」と話しているようです。
もっとも、監護親がするのは「育児」であるのに対して面会交流親は主に「遊ぶ」ことで「愛されている」ことを感じさせることですので楽しいことばかりとなります。
ですから監護親の側は、月1だといい顔ができる、という心情を持つこともあるようですが、ここまで思われるということは、逆に良い面会交流を父親はしているのだろうな、娘の気持ちを元夫はがっちりつかんでいるのだろうな、と受け止められます。
そして、監護親に「会わせないことで非監護親の感情がどうなると思うか」訊ねられると、「分かっているけれど、言葉にしようとすると心がざわざわする」と述べます。
ただ、ざわざわするだけ、良いのでしょう。最近、権利性を主張して声高に面会交流をさけぶ弁護士も増えて、これに呼応して簡単に間接強制ができる審判を出す裁判官が増えてきました。
ですから、意思の押し付けで面会交流の実施にこぎつけようとすると、最初はうまくいくのでしょうが、こどもが面会のことを話す機会はなくなり、合意によることが望ましいことは明らかです。
特に、父親の側は面会交流については、こういうプランで待っています!と提案する姿勢が大事ですね。私が女性側で調整した際、面会場所、日時、受渡し方法を私が徴性しましたが、相手方は何もしませんでした。
正直、間に入る人間としても、権利がある、王様である、当然である、黙って従え、アレンジメントをするのは監護親、では続かないでしょうね。最近、ある弁護士と面会交流の調整をしていて、そのように感じました。それだけ、女性の場合、「自分自身が元夫に会いたくないという気持ちは変わらない」「面会の日に娘を送り届けるときも、顔を会わせないようにしている」とあるように、それが新聞社が取材して、録取できる普通の女性の感覚なのだ、と意識したうえでスタートラインに立つべきでしょう。