名古屋ヒラソル離婚法―子の意思の考慮
名古屋ヒラソル離婚法―子の意思の考慮
1 子の意思を把握し、それを考慮することを求めるものである。まず、家庭裁判所は、「子の意思を把握し考慮することを求められています。(法65条)
また、子の監護に関する処分の審判事件等では、「子の陳述を聴かなければならない」と規定されています。
2 家事事件手続法65条は、「家庭裁判所は、親子、親権又は未成年者後見に関する家事審判その他未成年者である子」がその結果影響を受ける家事審判の手続においては、子の陳述の録取、家庭裁判所調査官による調査その他の適切な方法により、子の意思を把握するようにして、審判をするにあたり、子の年齢及び発達の程度に応じて、その意思を尊重しなければならない、と規定されています。これは、「子の意思」を把握し、それを考慮するということについての実定法上の根拠を与えるものであり、あらたに制定された家事事件手続法における問題である。
3 65条については、従前の実務でも家裁調査官による子の意思の把握は不十分ながらも行われてきたということである。次にこどもは人権があるのかという問いにもつながりかねない現在の実務への批判から、こどもについても客体とみるべきではなく、その考えや感情、気持ち、尊重するということが大切であるということについては、一般論のレベルであれば、基本的に大きな異論はない。
4 しかし、子の福祉にも客観的利益もあれば主観的利益もあるように、常にこどもの主観的意向を尊重するのが福祉に沿うわけではない。一つは、子の意思決定権や意見表明権という価値判断である。近時では、いわゆる親の選定を子にさせることが紛争に巻き込むであるとか、残酷であるという議論は極めて少数派のように思われる。
5 他方、こうした、「子の意見表面権」という私的自治によらない場合、より主観的意図を排斥した民法全体を通じての理念という「子の福祉」とされることになる。こうした客観的理解を前提とすると、親権者の決定に際して、子に親を選ばせようとするものではないといういささか古い議論となるし、また、そうした意見表面は避けるべきというパターナリスティックとなる。しかし、実際のこどもの気持ちと裁判所の判断は大きな乖離が生まれることになり妥当ではない。しかし、子の代理人制度が実現されなかった遠因の考え方といえる。
6 子の意思に関しては、子の精神状態や漠然とした希望や気持ちを踏まえて、子の福祉にかなうような判断を行うように期待するよう理解されている。
7 実務上は、家事事件手続法65条は、厳密には、「子の意思を把握するように努め」と規定するだけであり、家庭裁判所に、子の意思の聴取を義務付けているわけではないとされています。年齢的に聴取が可能であればそれが求められることになります。しかし、家事法65条の「子の意思」自体が意図的に曖昧に立法されていることもあり、子の年齢などによっても、その意味は大きく変わることになると解されます。
8 そもそも、意思という意味での把握が困難な乳幼児の場合、全体としての子の福祉の観点からの判断の枠組みで処理されるものである。また、乳幼児の場合は家事法65条は問題とはなりません。あくまでも意思能力があっての「子の意思」ということになります。また、年少の子については、その子の「意思」というより「精神状態」等に主に焦点があてられて、そうした心の状態の一つの要素として、子の意向や希望が考慮されるにとどまることになります。