子の福祉・子の最善の利益って何?-名古屋の離婚弁護士と考える。
子の福祉・子の最善の利益って何?-名古屋の離婚弁護士と考える。 弁護士と伊串法科大学院生とのパースペクティブ 法院生:「子の福祉に慎重に配慮して」というのは調停条項などにもよく入っている言葉ですよね。どういう意味なのか、詰めて考えてみるとどうなのでしょうか。
弁護士:子の福祉ないし子の最善の利益は、こどもの福祉に関する広い範囲の問題を決定するための概念ですね。 法院生:でも、中身がブラックボックスですね。
弁護士:こどもがどちらの親と暮らすかということ、非監護親との面会交流の可否や実施方法などを考える概念ですね。こどもは傷つきやすく回復しにくいのでこどもの生活環境のいかなる変化もこどもの福祉の観点から決定されるという考え方です。 法院生:それでも詰め切れていませんよね。「福祉」というのはウェルフェアです。つまり、目上の者が目下の者にする手解きのことではないですか。「子の福祉」は、実は「母親の福祉」という批判されることがあります。 弁護士:伊串くんは鋭いなあ。「子の最善の利益」といってもこどものことだけを考えて、結論を出すことはできないのです。そして全ての人の利益が考えられるべきとなるわけ。憲法の基本的人権の衝突の調整概念である「公共の福祉」とよく似ているね。「子の最善の利益」というワーディングにはもともと矛盾があって「子の最善の利益の矛盾」といわれています。 法院生:こどもの立場から考えるという一定の役割は果たしましたが、父母間の利益調整概念であるということには変わりがないということですね。 弁護士:そのとおり、だから利益考量が極端の場合は、「子の福祉」といいながら「母親の福祉」を藉口していると鋭い批判が出てくるわけです。
法院生:具体的に考えると、父母、祖父母、こども本人、公共益なども含まれるのでしょうか。 弁護士:チルドレンファーストといっても、こどもの自己本位というわけではない、ということですね。そうなると自分のことしか考えない大人になってしまうという公共益もあるんじゃないかということですね。 法院生:先生は、公共善など公共哲学の概念を取り込みたがりますからね。二元論ではなく三元論ですものね。 弁護士:あるべき「子の最善の利益」は、全ての人の利益が慎重に継続的に考慮されるときに「子の最善の利益の矛盾」が解消されると思います。もっとも重要なことはどのような子の利益を得るかですが客観的利益衡量が資するので、それは必ずしも子の意向、突き詰めると主観的利益にそぐわない場合もあります。 法院生:そのあたりが問題ですよね。こどもの客観的利益と主観的利益が面会交流の場合、衝突することもありますので。 弁護士:まず父母の利益のバランシングが大事だね。伊串くんが指摘するような批判が「子の最善の利益の矛盾」になっていますから。 法院生:例えば離婚の場合、「子の最善の利益」を母親の利益によって決められるとき、父親は小池代表風にいえば、父親は「排除いたします」ということになりますよね。 弁護士:父親を傍観者にさせてしまいますよね。ですからバランシングが重要なわけです。バランシング次第では、こどもを物理的・心理的に傷つけることになります。 法院生:父親に関しても、聖人君子というわけではありませんので、いつも正しいことをするロールモデルだけではなく、それは父親が良い面だけを見せているだけですよね。 弁護士:父親が自分の間違いを認めたり助けを求めたり、こどもは自分たちのたちの方も間違っていることに気づいたり、その能力を持っていることに気づけますよね。 法院生:あと心理的な喪失面もありますよね。ボーイスカウトの経験からいうと、善悪を決めつけられずに話しを聴いてもらえる安心感を持ったとき心を開きやすいですよね。そういうパートを演じる人が家庭内には必要だと思います。 弁護士:母親の利益にウェイトを置くと、そうした喪失感を抱かせ内在化させることになりますので、バランシングは慎重に行わなければなりませんよね。