なぜ、夫はモラルハラスメント夫に成長したのか?
ある田舎にいくとき、男性の友人がこういうのである。 うちの偉い順位を言っておくね。一番は祖母、二番はおやじ、次は長男であるオレ、次は姉ちゃん、次は犬、おふくろはその下だから。 屈託のない笑顔で、そう僕に説明をされても、「いちばんシンドイのが祖母??」と感じる外はなかった。だって僕の祖母は常に僕の味方であったのであり、いつも社会的立場がなく苦しんでいた僕にも当たり前のように接した弁護士になる前になくなった母親の象徴ともいうべき祖母だからだ。 その母親は、誰からも好感をもたれる人物だと思って、僕も好感を持った。しかしながら、偉そうな父親は、母親に対しては無視、罵倒し、いつもバカにしている様子をうかがうことができた。 また、散在し借金をしていたが、すべてが母親のやりくりのせいにされていたが、家計はその夫が管理していたのである。 モラルハラスメント夫の外に、エネミー夫、通称エネ夫という名称も登場した。この用語は心理系を専攻している人は以外と知っているものだった。僕もエネ夫と聞いたが、エネフレンドという造語を知っていたので、「ああ、そういうネーミングなんだ」と思ってしまった。むしろ、エネルギーが溢れていて迷惑している夫という意味、つまりエネルギー夫なのかな、と思ってしまった。 心理的にみると、息子は、家族の接し方を家庭の中で学ぶ。そして、その父親は母親に責任転嫁を繰り返していたようだった。そして、そうしているうちに他罰的(全部他人のせいにするという意味)傾向が強まっていく。 そういうことで、ある夫は父親から学んだのか、イシューが生じると必ず人のせいにしていた。しかし、狭い世界の妻の方も自分のせいという自責の念にかられていた。 私は、南禅寺の僧がした話を引いて、お天気だと笠屋の息子がかわいそうだと泣き、雨だと足袋屋の息子がかわいそうだと泣き、僧に泣きつき、「心の持ち方が悪い」と諭された母親の話をしたが、納得はしていないようであった。その言葉のとおり、トラブルをおこしても、責められるべきは母親である自分、そういう心理状態に追い込まれていたと考えられた。 モラルハラスメント夫とは何かというと、厳密な心理学者の定義はさておき、自己責任をとれない者である。自己責任が取れず、いつまでも母親にすがる夫という姿のように思われる。 しかしながら、モラルハラスメント被害者に述べておきたいのは、精神的地獄の中で辛抱して、自分を捨ててまで得られる本当の価値があるのか、と感じている。 いわゆるモラ夫にも、偶然、思いやり、慈しみ、優しさなどの感情と、客観的に理解される行動は存在される。しかし、裁判所は、すぐにそういうものに騙されてしまう。 外面だけはものすごく良いというのもモラ夫の特徴である。分かりやすくいえば権威に弱いのである。モラ夫が面会交流で花束やプレゼントを贈る。それが、真心からのものであれば、すなわち動機善なりや私心なかりしか、とクリアしていれば問題はないと思う。でも、モラ夫は「そういうものを送る自分が格好いい」「ママにいわれたから」という自己満足や惰性であることが多い。 致命的な欠陥は、相手の立場にたって物事をみることができない互換性のなさである。そういう機能がなくなってしまい、これを回復するのは20歳前半までが限界だと思う。 彼らは、真心、ストレート・フロム・ザ・ハートというものを知らない。冷めたピザのようで暖かい感情を知らない。しかしながら、マイクロソフトのビルゲイツも、マズイと思い身なりを重視始めたのと同じく、経験上、持っていなければ問題があると考えており、外面では、ペルソナとしてそのような感情を持つものとして社会に紛れ込んでいるのだ。 モラルハラスメントを理由に第三者機関を用いた面会交流の実施を命じた例・東京家庭裁判所平成25年3月28日審判 (1) 父母の婚姻中は,父母が共同して親権を行い,親権者は,子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負うものであり(民法818条3項,820条),婚姻関係が破綻して父母が別居状態にある場合であっても,子と同居していない親が子と面会交流することは,子の監護の一内容であるということができる。そして,別居状態にある父母の間で面会交流につき協議が調わないとき,又は協議をすることができないときは,家庭裁判所は,民法766条を類推適用し,家事審判法9条1項乙類4号により,面会交流について相当な処分を命ずることができると解するのが相当である(最高裁判所第1小法廷決定平成12年5月1日民集54巻5号1607頁)。 そして,非監護親の子に対する面会交流は,基本的には,子の健全育成に有益なものということができるから,これにより子の福祉を害するおそれがあるなど特段の事情がある場合を除き,原則として認められるべきものと解される。 (2) そこで,上記のような見地から本件について検討するに,前記1認定のとおり,申立人は相手方及び未成年者との同居中,仕事が多忙な中でもやり繰りして,未成年者に関わってきており,それは未成年者の記憶の中に申立人とざりがにつりやサッカーの練習を一緒にして過ごした楽しい思い出として残っていること,また,未成年者は,申立人と会うことについて,申立人と一緒に暮らさなければならなくなったら困るとして不安感を有していることは認められるものの,誰かが一緒にいてくれるのであれば申立人と会っても良いと述べたこと等本件に現れた一切の事情を総合すれば,未成年者が申立人と面会することによって未成年者の福祉を害するおそれがあるということはできず,本件において上記特段の事情があるということはできない。 (3) 次に,申立人と未成年者とが面会交流をする内容について検討するに,申立人は,未成年者を,申立人が通っている論語の勉強会及び空手教室を行う○○塾に毎週参加させることを強く主張しているが,そもそも面会交流は,子の幸福のために実施するものであり,親の教育の一環として行うものではない。 したがって,未成年者の年齢や,円満な面会交流実施の可能性などを踏まえれば,申立人と未成年者との面会交流の内容としては,別居して生活している父子の自然な交流として,未成年者が以前の楽しい思い出として記憶している魚釣りやサッカーの練習などから始め,面会交流の頻度等についても,未成年者の心理的な負担を考慮すれば,2か月に1回,日帰りで行うこととするのが相当であるといえる。 そして,前記1認定のとおり,申立人と相手方は,現在,離婚訴訟中で,相手方は,申立人からのモラルハラスメントを主張して厳しい対立関係にあり,PTSDを伴う適応障害との診断を受けていることからすれば,当事者間で協議を行うのは困難であると認められること,また,未成年者自身,第三者の立会いを望んでいること等を考慮すれば,本件においては,面会交流の具体的な日時,場所及び方法については,公益社団法人○○等の第三者機関(以下「第三者機関」という。)の指示に従うこととし,面会交流の実施の際にも第三者機関の立会いを要することとし,その費用について双方で折半するのが相当と解される(面会交流の実施について第三者機関の介在を命じた例として,東京家庭裁判所平成18年7月31日審判・家庭裁判月報59巻3号73頁参照)。