カナダ法に準拠し父母で等しい時間を過ごす共同親権を認めた決定
実質的に共同親権と共同養育計画を日本の裁判で決定した初めての高裁事例 カナダ国籍を有する両親及び未成年者2名に関する子の監護者の指定申立事件について実父の実家が存在するカナダのノバスコシアの実務に基づき、両親の双方が同程度の時間ずつを監護する分割身上の監護ないし共同親権の定めをした事例(東京高判平成29年5月19日)
1 事案の概要
本件は、カナダのハリファックスが州都のノバスコシア州法に基づいて、双方とも長男、二男について、自らを監護者として指定するよう申立て、父親側は、引渡し、面会交流に関する処分も各々求めて申立てをした事例である。 具体的には、父親が子らのカナダ旅券を受領する権限があることの確認を求める事件(A事件)、母親が父親に対し、子らについて分割身上監護をすることを求める事件(B事件)、父親が母親に対し、子の引渡しを求める事件(C事件)、父親が母親に対し面会交流を求める事件(D事件)が係属した。(弁護士訴訟代理人あり)
2 論点の整理
本件では、母親がケベック州、父親がノバスコシア州出身であることから、法の適用に関する通則法32条によりカナダ法令が適用されるべきところ、カナダは連邦制で地域により法律が異なるため、38条3項の「その国の規則に従い指定される法」が存在しない。そこで「当事者に最も密接な関係がある地域の法」が母親の州法か、父親の州法かが問題となった。この点は、事実認定で実父の実家がノバスコシア州にあるなどの事情から、ノバスコシア州法が「最も密接な関係がある地域の法」として準拠法となり、抗告審である東京高判平成29年5月19日も原審を踏襲している。また、母はノバスコシア州法により、いわゆる親権者(主たる養育者)を定め、父親は面会交流をすることができるにすぎないとのスキームの採用を主張したのに対して、父は両親の双方が同程度の時間ずつを監護する共同親権、いわば「分割身上監護の定め」のスキームを主張し争った。父親が面会交流のD事件を申し立てているのは母が主張するスキームに対する予備的主張である。以上のとおり、本件では、共同親権を採用すべきなのか、単独親権・面会交流を採用すべきなのかが争われたと考えてよい。なお、本件は一応監護者指定の形式を採っているが欧米では暫定合意後、改めて監護計画の見直しは行わないから、本件は親権者指定にあたっても十分参照価値があるものである。
3 原審の要旨
原審は、「母親が本件子らを病院に連れて行ったことなど、本件子らの監護の中心となる体調管理の面で、申立人が主たる役割を担っていたといえる。また、父親も日本に転居後、本件子らの学校行事や会議に参加するなど、勤務時間を調整して、本件子らの監護のための時間を工面していた」「当事者間では、母親が交際相手(*不貞行為と認められている。)との同居を開始した後も、暫定合意に基づき毎週末の父親と本件子らの交流につき、母親が拒否しているような状況はみられない」「その他、監護に対する意欲、監護計画、子と親の関係性、子の問題に関するコミュニケーション能力、子に費やすことのできる時間、経済的貢献、本件記録により認められる一切の事情に鑑みれば、カナダにおける」「分割身上監護を採用することが相当であり、分割身上監護の採用により、本件子らの監護をめぐる当事者間の対立を相当程度解決することができるものと考える」「暫定合意のとおりの監護が継続されている上、家庭裁判所調査官による調査によっても相手方と本件子らの関係性に特段の問題はなく、当事者双方の特性に応じた監護が望まれることからすると、父親についても可能な限り、本件子らの監護の機会を持つことが相当である」と判示し、共同監護計画を別紙に示し決定した。 これに対して母親が父親は暴力的であるなどとして、単独親権を主張し、父親は面会交流ができるにすぎないと主張して即時抗告した。(抗告はBを一部変更、その余を却下。)
4 東京高判平成29年5月19日
「母親は、父親が、同居中から睡眠薬を常用しており、また、ステロイド注射の副作用で怒りのコントロールができなくなることがたびたびあったと主張する」「しかし、暫定合意及び・・・審判前の保全処分に基づく父親の本件子らの監護に、特段の問題は認められず、上記の事情は、父親の養育能力に影響するものとは認められない」「本件子らの身上監護に関しては分割身上監護の方法を採用し、以下のとおり、相手方が本件子らを監護する時間がおおむね40パーセントを下回らないこととなるような監護計画を定めるのが相当である」「母親は、本件子らの学校がある期間の平日にも父親が監護することがあり、本件子らに大きな負担をかける、平日には本件子らを学校に送迎し帰宅後も監護する必要があるが、父親の勤務時間は午前8時15分から午後6時であるから子らの監護に専念することはできない。平日は、本件子らが安定的なサイクルで生活できるように母親が監護すべきであるから母親が本件子らを監護すべきである。父親は長期の休暇を取得できないから直接本件子らを監護することができないなどと主張する。」「しかし、・・・相手方は、本件子らの迎えや監護のため、裁量により勤務先を退勤することが認められており、その勤務形態には相当程度柔軟性がある」「また、本件州における子の監護に関する実務上、普通の親としてのタスクは、週末や休日の訪問により生じる監護養育から抜け落ちていることが多く、これらは平日の日常生活という、より普通の環境の中で子が親を理解することに貢献するものであり、子が両親の双方から平日及び週末の両方において養育されることは、子の最善の利益に資するものと解されていることが認められる」「当事者双方が平日のおける本件子らの活動を本件子らとともに振り返ること、本件子らとともに登校の際の準備をすることなどにより、本件子らの些細な変化を知るといった機会を当事者双方が持つのが相当であるといった点を勘案すれば、本件子らを休日ではない平日に相手方が本件子らを監護することは、子らの利益に資するものというべきである。」「サマースクールやサマーキャンプ等に参加していたことが認められるから、本件子らの夏季休暇期間中の父親による監護養育期間のすべてにわたって父親が休暇を取得しなければ・・・適切に監護養育することができないものとは認められない」「本件子らは、日本において安定した生活を送っており、当面、この状態を継続することが本件子らの最善の利益に資することから、その機会を確保する必要がある」と判示し、父親の長時間にわたる監護をすべき旨主張の論旨を容れて、1年ごとの交代制とされたゴールデンウィークとシルバーウィークの監護について、父親が監護すること、冬季中間休暇、秋季休暇及び感謝祭休暇期間について実父が監護する点を付け加えた。 監護計画は、相当詳細にわたるため、省略するが、通常期においては、実父が毎月第1、第3、第5金曜日の午後5時から翌週火曜日の登校時までの子らを監護し、その余の時間は母親が監護するとしたうえで、祝日及び休暇時(インターナショナルスクールのため休暇が小刻みにある。)においての特則を定めているものであり、抗告審で基本は維持されている。
5 離婚弁護士の解説
本件は繰り返すとおり、カナダのノバスコシア州法を準拠法としているものであるところ、匿名コメントでは、同州では、「『主たる監護者の指定』か『分割身上監護』かという観点から裁判所が監護計画を作成するとされ、本件当事者もそれを意識した主張立証をしていること、カナダでは司法省が子の監護計画ツールを作成してガイドラインを示すという体制が確立しているという事情」があることを指摘し、わが国の子の監護者指定の審判や親権者指定に射程が当然に及ぶものではないことを前提としていると思われる。
6 分割身上監護が子の最善の福祉に適うというカナダの考え方
しかし、他方で、本件決定の論理をそのまま持ち込むことが相当かは議論が必要としている。もっとも、わが国でも面会交流は権利であると認知されるに至り、また、カナダも州法ではなく連邦政府がガイドラインを示している程度にすぎないのであるから、我が国においても、本決定の射程距離を国内事案に及ぼすことは可能であると考える。
7 日本の「分割身上監護」的発想のフレンドリーペアレント判決
代表例として、千葉家裁松戸支部平成28年3月29日のフレンドリーペアレント判決があり、新聞でも大きく報道された。説示は共同監護や実質論に触れるところは少ないが「・・・父親は、長女が連れ出された直後から、長女を取り戻すべく、数々の法的手段に訴えてきたが、いずれも奏功せず、爾来今日まで長女との生活を切望しながら果たせずに来ており、それが実現した場合には、整った環境で、周到に監護する計画と意欲を持っており、長女と原告との交流については、緊密な親子関係の継続を重視して、年間100日に及ぶ面会交流の計画を提示している」と判示したものである。
8 面会交流計画は、監護計画と同じ
本決定はこの100日を大幅に上回る養育計画を示したものである。面会交流の計画は、欧米の監護計画と同義語であり、今後、我が国でも立法政策ないし面会交流の量的増加により、先進国並みの監護を未成年者に受けさせるのが妥当である。
単独身上監護を前提とする映画であるクレーマー・クレーマーが流行した1980年代、欧米では、共同監護及び養育スケジュールの共有、単独身上監護と多少の面会交流という2つの矛盾する考え方がそれぞれ主流を占めるようになった。
養育役割に性差はないという考え方
前者は、両親と実質的な交流により子の最善の利益が実現するのであり、養育役割に性差はないとの価値判断がある。前者の価値判断を示すものとして、後記の原審である金沢家裁七尾支部平成28年2月8日が「双方の未成年者らとの関係は良好であることや,双方の現状の監護状況に大きな問題点は見当たらないこと,そして監護態勢の変更に強く反対する未成年者らの心情等を前提とすると,・・・単独親権行使は・・・未成年者らの福祉につながるとは直ちには評価できないし・・・(単独)監護者を指定することによって,未成年者らの心情の安定が現状以上に図られたり,双方の調整の困難性が直ちに解消するとも必ずしも言い切れない。逆に,監護者を一律に指定することによって,未成年者らが申立人と相手方双方と触れ合える現状を壊しかねず・・・生活環境の変化等が未成年者らに対して悪影響を生じさせることにも繋がりかねない」と判示する。この他、大阪家裁平成26年8月15日は、共同監護のような状態であるといえること,それで問題は生じていないことなどから,いずれかを監護者として指定することは相当でないという判断をしている。どちらが監護者としてふさわしいかという判断よりも,現在父と母が相応に子らに関わっている現状を重んじたものであり,別居中であっても,単独監護を否定したものである。
共同監護は、不安定との考え方
後者は、単独身上監護の方が子の生活における安定性、一貫性、予測可能性を重視する価値判断がある。後者の価値観を示すものとして、名古屋高裁金沢支部平成28年4月7日決定「交替監護は,双方が冷静な対応に終始している限りでの事実上の措置にすぎず,明確な合意に基づかない不安定なものであり,しかも,両者間の紛争状況からすれば,近日中に確たる合意が成立する見込みがあるとも認め難い。また,相手方が抗告人からの電話の着信を拒否するなど,交替監護を巡る連絡調整が困難となる状況が出現したりして,原審判後,監護方法に関する双方の諍いは激しさを増し,相互に不信感を募らせていることは疑いなく,それがどちらか一方の落ち度というものでないとしても,未成年者らの面前での口論が絶えないなど,適切な対処ができていないといわざるを得ない。それでも現時点では一応の冷静さが保たれているとはいえ,非常に危うい状態であることがうかがえるのであり,離婚の当否を巡る紛争もあって,未成年者らの監護を巡り深刻な対立に発展するおそれが拭い切れない」「両親の諍いの激化を受けて,未成年者らの様子にも変化が現れ,長女においては,両親の板挟みになって心を痛める度合いが明らかに強くなっているし,長男においては心身に変調を来しており,両親の諍いに日常的にさらされて,その葛藤による悪影響が顕在化していることが懸念されるところである。しかも,未成年者らにとって,これまでの幼少期はある程度二重生活(頻繁な交替監護)を甘受することができても,既に小学校の中学年から高学年にさしかかっており,このような二重生活を続けることが健全な成長を図る上で適切であるとは必ずしもいい難いのであって,殊に今後は日常的に安定した生活が望まれるということもできる」と判示して、共同監護が長期にわたって継続し,未成年者らもそれを甘受する意向を示しているという事情の下でも、原審を破棄したものである。しかし、名古屋高裁金沢支部決定は子の発達の程度に合わせて、いずれかが、子の監護を変更することを求めることができるのであって、親の再婚、発達に伴うニーズの変化には新たな合意ないし裁判で対応できるのであって、この意味で相当とは言い難い。
本件母親の抗告趣意も、結局後者の価値判断を縷々主張するものであったように思われるが、わが国ではむしろ後者の価値判断の方が主流であるものの、前者の価値判断に基づく子の監護者指定の裁判も前示のとおり存在している。
9 カナダ法における共同監護(共同親権)が可能と判断している
原審は、両親の葛藤が高い場合、裁判所は単独身上監護を選択しがちであるが、根底には、母親が不倫相手と交際等している点に批判的な目を向けていることが印象的にうかがわれる。そして結論として、カナダ法における共同監護(共同親権)が可能であると判断している。そして、上記フレンドリーペアレント判決のように、実父が毎月第1、第3及び第5金曜日の午後5時から翌週火曜日の登校日まで、母親が火曜日の下校時から金曜日の午後5時までを監護するものとして、休日の特則をもうけているものの、その詳細は主に当事者の主張立証に依拠したものとみられ詳しい日時の分配については職権で定めているという印象である。
10 本判決の意義
しかし、現実に法的手続きにおいては、取り得る選択肢を提示することが大事であり、その点では、本決定もフレンドリーペアレント判決も日時の量的調整にかかる指針(ガイドライン)を示すと、今後の研究に一石を投じるものとなったと解される。
その点で、日本の裁判所が平日の父親の監護の重要性に言及したこと、具体的には我が国で一般的な土日の月1回の面会交流では、父親としての生活のタスクがみられないことが多く、日常生活を共有することにこそ意義があると指摘したことは、我が国の面会交流権がいかに抽象的で貧弱であるかを示すもので、後者の価値判断に基づくものといえる。
米州では、養育費と面会交流についての取り決めをして、共同親権か、単独親権かを決めてその際面会交流のプランを決め、整わない場合に裁判所が命令で決める。養育計画のモデルは養育のスケジュールを作成するため、多数のガイドラインが用意されている(筆者の解説は米国州法で類似していると思われるものを参考としている。)。そして特筆すべきは、親教育講習であり、ネバラスカ州では、離婚のこどもへの影響、離婚へのこどもの反応、親が注意すべき点、親同士の関係の重要性、養育計画作成上の留意点に講義し、高葛藤夫婦の場合は少人数クラスによる運用が行われている。弁護士などの法律家の関与も利害関係の調整を中心となっている。
本件では、父親が柔軟性のある仕事をしていること、共同親権制度の立法を準拠法としたことなど事実認定と法律解釈が重なって出たものともいえる。しかし、私見によれば、一般的には、暴力やDVなどを除けば、両親の希望の聴取によって共同監護(共同親権)を基調に、例外的に単独親権と面会交流という建付けが欧米では一般であることに照らすと、本判決が示した価値判断はフレンドリーペアレント判決を破棄した東京高判平成29年1月26日のように、単に、極端かつ一方的な解決をするための要素を羅列し、怒りを買い関係者全員を刑事告訴するなどの行動をとらせる裁きに終始するのではなく、養育時間と養育費について両親の相違点を解消し、合意できるように協調的法務を促し、まとまらない場合は裁判所が監護計画も含めて命令するというアプローチが実質的な解決につながっていると思われる。
11 最低でも面会は100日
最後に、本件では、母親の抗告の趣旨は、「分割身上監護」がおおむね等しい時間をこどもと過ごすという内容であり、それを「せいぜい100日」の面会交流に変更するよう求める内容であったのである。そうすると、単独親権でも諸外国では100日の面会交流は主流になっているものと考えられ、我が国においても立法政策やガイドラインにより、子の最善の利益に即して、こどもがペアレンティング(育児・教育)を両親から受けられるよう、法整備ないし運用を改める必要性があると指摘しておきたい。また、面会交流が単に子の情操の安定や愛着のためだけにあるのではなく、ペアレンティングの側面があることを本決定が示唆していることも高い評価に値する。この意味において、我が国の実務に射程が及ばないとなると、クレーマー・クレーマー以降、米国などでの深化と比較し、全く進歩がないというのも、我が国の健全な社会通念と必ずしも一致しない側面が出てきているように思われなくもないように思われる。