調査官調査②―子の心情調査
別に決まっているわけではありませんが,子の心情調査は面会交流のときに行われることが多いです。 こどもの対象は10歳前後といっていた家族法学者もいますが実務は就学児童からしている印象です。 つまり6歳くらいから10歳くらいまで。その後は意向調査という棲み分けと分析していいでしょう。 子の心情調査ですが,父親が一番多いでしょうから,父親に対する印象を聴くというイメージでしょう。 言葉でのコミュニケーションがある程度の信頼性をもってできる場合です。 しかし,裁判所の距離感の取り方は,子の監護紛争だと結論ありきで,子の監護状況のみ調査、親権紛争だとさすがにもともと地裁で裁判をしていただけあって証人尋問後に調査官調査を入れるというくらいの配慮をする場合もあります。そのため調査官も,親権は訴訟事項(本当は非訟事項だけど名古屋では訴訟事項です。)なので,はっきりとした意見はいわないことが多いです。親権の場合に子の意向調査をすることが多いといえます。 面会交流の場合は,子の心情調査くらいで良いと考えられているのではないでしょうか。裁判所はともかく現実中学生が,毎月1回,一緒に住んでいるわけでもないのに,遊ぶというのは友人のような「理想の父親」であればともかく心理的負担になっているケースもあります。なので,祖父母と同じような扱いで,長期休暇を中心に面会している人が多いようです。 男性親にとっては酷ですが,小学生はアタッチメント、いわばスキンシップを求めてくるのでいてくれるだけでいいという側面もありますが,中学生になってしまうと,もう愛着障害でもない限り、スキンシップを求めることもないでしょうし,中学生の世界に父親がついてこれていないことも多いだろうなあと思います。たしかに同居していると妖怪ウォッチやWIIなども関心がいくでしょうが,別居していると月1のためになかなか妖怪ウォッチとか勉強するのは、まあ自分なりに落とし込めればともかく他人のために犠牲になる覚悟のようなものがないと難しいかなと思います。 結局、会うたびにサンタさんになってしまう人も少なくありませんが,主たる養育者理論では教育や道徳なども親がこどもに教えることとされているので,そこらへんでの役割分担ができればよいのでしょうが,日本では,なかなか難しいように思います。 司法面接の場合、7歳の場合、7×5分=35分が良いといわれています。その心理学的機序はいかほどが不明ですが,私もこどもと面接して心情を聴くことは面会交流が一番多いです。 その場合は5分程度アイスブレイクをします。まあどうでもいい話しをしますが,関心事を聴いていくことが多いかなあと思いますが,友人関係などをさりげなく聞きます。 なお,基本的に,私の場合は,こどもの表情から目を離しません。刑事裁判官と同じく微妙な表情の変化などで心証をとるのと同じです。こどもの言語能力、認知能力、社会性はアイスブレイクの中で,ムンテラ的に終えてしまいます。 もっとも,面会交流の心情調査は,すくなくともイメージがポジティブか,ネガティブか,ニュートラルかということを聴いてくる点にあり,事前に折り紙やパペット人形を用意して遊べばよいというものではありません。ときどき,折り紙で遊べることができたから面会交流はポジティブだ,という意見がありますが,論理に飛躍がありすぎて,ん?と思うことがあります。また,血縁上の父親又は母親と会わせないことは子の福祉に反するという意見も見たことがありますが,それって心情調査ではなく調査官の血縁主義的信念にしぎないのではないか、と思ってしまいます。 もっとも,ストレートに父母にダメージを与えるのが子の心情調査です。なぜなら,だいたい小学校3年生くらいまでは,みな成績にも差がつかないため,父母はいずれもこどもを自分の監護下に置きたいと思っていることが多いからです。しかし,それ以上の年齢を超えると次第に成績の差が出てきますから,「かわいくない」と考える親なども出てくるようです(成績だけの問題ではないだろうと思いますが)。 例えば,小学校6年生になっても識字できないような場合に,母子優先の原則といって教育に熱心でない母親に引き取られた場合ですね。養育費はもらえるかもしれませんが,スペクトラムやLDに起因するものでなければ,さほど心情を聴かれてもショックではないようです。たしかに,父母のうちいずれかは,教育的な側面で嫌われ役にならないときもありますから,例えば,「ママはスpタルタだから嫌い」という「心情」ならば,それはそういうことになるのでしょうかね。それが客観的な子の最善の利益にかなうか相当に微妙ですが。 ところで,この子の心情調査が最も敵意に満ちた気持ちにさせるものになるものです。調査官報告書でも幼児が「○○には会いたくないと何も聞いていないのに語り始めた。」とか,吹き込みが明らかな場合でも,その心情の形成過程の合理性も検討しないまま、単に監護者からの印象を引きついでいるこどもの発言をそのまま書いてあったりします。上記のとおり,子の監護紛争は監護環境が中心?(とも最近はいえないが)、親権争いは訴訟事項(名古屋ルール)なので調査官が白黒つけるのは図々しいので控えめ・・・ というわけで,こどもの面会交流(小学校3年生くらいまで)の心情調査が一番,調査官も起案するにあたり結論を導かないといけないので,現実的悪意に満ちた気持ちで記載されているものも多く,いくら裁判官からのオーダー(こういう審判にしたいからこういう調査報告の意見書を下敷きして)とはいえ無配慮のものも多いなあという印象を受けます。それが家庭裁判所に対する信頼を低下させているのでしょうね。 家裁調査官についても,「こういう結論ありきはどうかと思います」と基本的には裁判官に反対意見が述べられるくらいの気概が必要なのでしょうね。そうでないと心理的負担が重い調査を強いられたこどもの努力や勇気はたしかに報われません。まあ調査官制度自体が裁判官を補助する仕組みなので,裁判官のオーダーに反したら怒られるのでしょうね。ある調査官は「僕からそんなことはいえません。上申書を出してください」といわれましたが,よほど風遠しが悪いのだなあと。あるいは,オーダーに反したことはいえない恐怖政治の下にでもあるのでしょうかね。 子の心情調査は,忠誠葛藤下で監護者の意見に逆らえない下で行われ,調査官報告書は監護者も読みます。他方,小さなこどもは大人の影響を受けやすいことはよく知られた経験則ですから,こうした子の心情に監護者の意向が投影されている場合もあります。もっとも,オーダーが既にあるので,投影されていようがなんだろうが,あまり関係ないということですね。加えて,調査官調査の可視化を唱える論考が公表されました。高裁で,直接こどもと会っていない者の意見書は大学教授であってもナンセンスみたいな東京高裁があるからです。 いろいろ試みている弁護士や私もいろいろ試みたのですが,最終的にほとんど重視されていなかった子と直接面会した人間の意見についてその信用性と調査官報告書を対比したものもありましたが,結局調査官報告書の信用性に軍配を挙げましたが,近時,名古屋家裁は調査官報告書は信用できないとして,その信用性を刑事事件の被疑者被告人の供述の判断枠組みを用いて否定した例も出ています。