離婚後の父母のかかわりにこどもの利益を考えて
離婚後夫婦のかかわりかた―面会交流を通した理想的な共同子育ての実現のために(離婚後調整活動)
ご離婚をなされても、協議離婚が多くを占める我が国では、それほど葛藤の高くない元夫婦もいらっしゃいます。また、高葛藤夫婦もいます。 女性にはいろいろなお気持ちがあり、もう会いたくない、というお気持ちが非常に強い方もいらっしゃいます。 しかし、他方、離婚しても父母間をいったりきたりすることができるこどもが一番幸せなどではないでしょうか。そのために、共同子育てともいうべきことの許容性をお持ちになるのでもよいかと思います。 例えば、6歳くらいの子に、パパとママとどちらが良いというと、「3人で一緒にくらしたい」とこたえるといわれています。 実際、そういう例にあったこともありました。 これは、父母間の相互理解がないとできないことですが、離婚の成立は争いの終わりと再生を意味するのではないかと思います。 こどもの引っ張り合いはこどもが望んでいないので、「子を中心とした」事実上の共同監護が必要といわれます。 たしかに、再婚などの再構築家庭も増えていますので、共同監護を続けてしますと、新しいパートナーシップが結べなくなる懸念があるかもしれないと思います。 しかし、例えば、父母間では、こどもは良いところは互いから学びます。ですから、離婚調停、離婚訴訟で「争い依存症になっていませんか」と問うてみる必要がありそうです。
「勝つ」ための離婚ではないこと
以前、女性側の弁護をしたときに、相手方の弁護士が勝ち負けにこだわっていることに違和感を感じました。そして民法ではこうなっている、などと夫婦共同財産の財産分与対象財産につき、民法理論で議論をして「勝つ」ことをしようとします。しかし、家族法には家族法の理屈があります。 ですから、普段は穏やかで好感のもてる方が、裁判所で離婚の手続を進めている最中に、高ぶる感情を押えられずに、こどものことを考えず「勝つ」ためにこどもの人生を破壊していることに気付けない人がいます。たしかに身体を傷つけることは犯罪ですが、心を傷つける行為は犯罪ではありません。身体あっての心だからかもしれません。しかし、離婚によって、こどもの心を踏みにじってしまうことが互いにあります。 これまでの日本は、離婚となれば、過去の絆を分かち合い、父母は会わない、新しい家、新しい仕事、新しいパートナーへと去っていくという流れが多いと思います。こどもからすると、父母はいるはずなのに「いない」となり、知らない異性が両親として登場することに困惑することもは少なくありません。 離婚した二人であっても、父母としてのパートナーシップを形成することを考える必要があるのではないでしょうか。 離婚後の親は、自分の独断でこどもを育てようとするので、元夫婦と争ってしまいます。 しかし、せっかく離婚してまで争うのは「争い依存症」かもしれません。こどもが心理的に安定できる家庭を形成することができないかもしれません。 むしろ、引き取ることの多い母親は、離婚によって親子の関係が終わることがないように、配慮する必要があるし、他方もしかりだと思います。 友好的な離婚 友好的な離婚プロセスにも、離婚弁護士がかかわりまs。これらの離婚弁護士は、争いを避けるために専門的な見地から妥協点を探ります。 離婚後にふたりがうまくやっていくために、コミュニケーションの方法、問題解決や葛藤解決を行います。 こうした友好的な離婚はお子さんが10歳以下の場合は特に発達段階にあるので望ましいといえます。 もっとも、離婚時の取り決めについても、なかなか怒りや傷つきは離婚成立後も消えないものです。面会交流の積み重ねや共同監護は、むしろ過去の傷を蒸し返すことになりかねません。 そこに「痛み」を感じると回避を希望するのは自然なことといえます。 そうしたキュアが必要で、「友人になる」感覚が必要になるかもしれません。 こどもの最善の利益のために協力する、お互いの意見を尊重し合い、子育ての判断をすることもできます。キュアができれば、些細なことは気にならなくなります。面会交流の積み重ねと自分の新たなパートナーシップの形成も関係ないといえます。お互いの子育てを支配しないことがポイントで、監護親の方針を基調にアドバイスをするということがこどもの理想といえそうです。
こどもを「中心に据える」
こどもは、離婚によって、多く、少なくいずれにしても傷つきます。そういう意味ではビクティムといえるのかもしれません。 もちろんこどもを犠牲者にすることは、こどもに何も決めさせないで犠牲になってもらうのですから、選択責任などを負うことはありません。 しかし、そうした近視眼的側面よりも、こどもの興味を尊重して育てていけるか、それは父母では関心の分野が違うでしょうから、両者は両立するといえるといえます。 どうしても、親の離婚を経験したこどもは共通の不安を抱えます。そのいくつかによってこれから説明していきます。高葛藤の離婚を経験した夫婦のこどもは、忠誠葛藤、見捨てられ不安、自己評価の低さといった情緒不安に陥ります。 こどもの最善の利益のためには、こどもに無償の愛をつたえること、しあわせ、善悪の理解、大人になる準備、こどものチャレンジを後見人として応援してあげることです。これは、片親だけではなく、双方がかかわることが望ましいのです。 離婚という現実はこどもにも受け入れてもらう必要があります。しかし、それぞれ愛の伝え方は違いますし、道徳観も違います。またチャレンジの応援の仕方も違います。勉強ひとつでも、お金を出すだけの人もいれば、家庭教師をみつけてきたり自分で教えたりするという応援の仕方もあります。 こどもは、両親に育てられ、愛される必要があります。こうした観点から離婚後の共同監護、結局は面会交流の積み重ねになると思いますが、別に面会交流しても気にならない、という程度にまで、離婚した後キュアされる必要があります。 そこで、父母は、争うことをまずやめることが大事です。面会交流の禁止条項など定めても守られず表面的なものではこどもが疲れてしまいます。特にこどもを深く傷つけるという自覚が必要とされると思います。こうした点から、父母は、面会交流の実績を積極的に積み重ねることが大事だと思います。そこには信頼関係が必要です。共同監護や面会交流プランはすぐに古くなってしまいます。ときには、親権者すら変えたいとこどもが騒ぎ出すこともあります。つまり、こどもの発達と親の時間の流れは異なるのです。 ですから、共同監護は、こどもの発達のニーズに合わせて、面会交流は子育ての時間と位置づけることが大事です。そして離婚していたとしてもこどもの問題は別として発達段階を考慮するということになります。 しかし、4歳のこどもが今日は夫、明日は妻の家と、あちこち行き来するプランを提案する裁判官もいます。具体的には月から木は母、金から日は父というのです。しかし、これではこどもも混乱してしまうかもしれません。単に時間を公平にすることよりも、「こどもを中心」に4歳のこどもにとってなにが必要とされているのかを検討されるべきで、葛藤があっても同席で遊ぶなど、そうしたことを求めているかもしれません。