調査官調査の限界―二宮教授の論考を参考に
家裁調査官は、子の意思の把握のための調査を行い、その事実を父母に伝えることによって、父母に子の視点に立つように働きかけることもできる。 しかし、私の経験的にいえば、既にインテークで結論を決めてしまい、結論、つまり仮説に沿った陳述しか録取しない場面が多いように思われる。 本来、家裁調査官は、裁判所設置法の趣旨に基づき人間関係の調整を目的としているものの、早期にポジティブか、ネガティブかの見立てを立ててしまい、ネガティブの場合は調整活動を行わないと家裁調査官紀要には記載がある。 したがって、理想と現実との間で、例えば母親の不安に伝染したこどもが父親との面会を嫌がっていた場合は、それをストレートに伝えて、否定的な意見を差し出すのみで、特に父母の立場に立った視点から論じているものはみたことがない。また、家裁調査官は、少年犯罪事件など18歳前後の少年を扱うことが多く、このことと5歳前後の少年の聴き取りができるのか、などの疑問も提起される。例えば、最低限でも、幼稚園教諭や保育士資格などの取得を最低的な能力担保とするべきでなければ「こどもの得意な弁護士」などと名乗ることなどできないのではないだろうか。 二宮教授は、「子の監護状況しか調査できず、それも親権者及び祖父母同席の下での面談」というものについて、以前、同教授に意見を求めたことがあった。ある意味では二宮氏の論考は、当職に対する一つの処方箋を示すものといえよう。すなわち、そうした権限を背景にする場合、二宮教授は「子の意思を的確に把握し、的確な根拠にm十づいて理解し、双方の親等に了解可能な形で示す」ものにはならないと指摘する。たしかに形式の適正さの担保も重要であり、親権者や本来いるはずのない平日の調査に祖父母がいたりする不自然さを調査結果に反映させるのは時に不相当な場面がある。 二宮教授は、子に望ましくない影響が及ばないような努力への配慮への努力をしないまま、子の心を傷つけるおそれのある子へのアプローチに消極的な態度では、こどもの意思の考慮を求めた家事事件手続法65条を活かすことはできない。 二宮教授は、的確に調査官調査の適正さはひとりひとりの調査官の主観の「手腕に依存するところ」が大きいと指摘しており、能力不足や刑事・弁護士気取りの調査官にあたるとこどもも気の毒であり、この点は教授の意見に賛同することにしたい。 私は、ドイツ法では、二宮教授が子に適切な情報が伝えられていることであることを指摘するが、調査官は、こどもに情報を与えるわけではないし探偵とあまり変わらない、手続保障のための存在ということはできないと考える。また、調査の内容は取調べの可視化にも通ずる議論である。ごり押し調査も少なくなく、少年事件でも調査官からの誘導に少年は弱いといわれているのに、5、6歳の少年であればなおさらのことであろう。調査官は、子の味方として子のそばにたって、自由な発言を保障し、裁判官や父母と交渉する権限をもっていないと二宮は指摘する。しかし、私は、だからこそインテークでの結論ありきの仮説に沿った証拠集めに利用されてしまうと考えられるし、中には面会交流の場合、弁護士法に違反する交渉をしている調査官も存在しており、その限りでは二宮の所感は額面通り受け取れない。 パリに滞在したときに、ある父子家庭に会った。母親も父親も日本人であるが、こどもは10歳であったがパリへの滞在を望んだため日本帰国を望んだ母親は日本に帰国したというものである。 そのとき、こどもは、離婚協議は家庭の中で行われていて、父親が離婚のことを話そうとしても「全部、みていたから知っているよ」と応じているという。もちろん、少年には、面会したところ、時折見捨てられ不安があるように感じた。しかし、父子の関係は良好のようだが、こどもの口からは、母親の話しは、あまりでなくなっているようである。しかし、情報を与えられて選択が与えられて選択したうえでのことと、こどもを常に被害者や客体にして人間の尊厳を認めない考え方には違和感を覚えざるを得ない。ふたりは、夕食を一緒に作ってコミュニケーションを温めていた。 こどもの手続代理人が調査官と根本的に違うのは、手続代理人は弁護士であり、子の側に立って活動するということである。その中には、情報提供、手続の見通し、養育計画の作成、調停での働きかけなどが含まれている。調査官は30分1回程度の面会だが、手続代理人は2~3時間程度、数回の面談をすることになり、随時の相談も受けるため、子に安心感が生まれる可能性もあるかもしれない。件のパリで出会った少年も母親には会いたくないといっているそうだ。しかし、子の本当の気持ちを配慮してみるには時間が必要であり、オフィスワークだけでは信頼関係を築くことが難しいことがある。この少年も手続代理人をつければ、定期的な母親との面談は希望するかもしれないが、現在は監護親の影に隠れてしまっているようにも思われる。自分の気持ちを素直に話せることが大事であり、こどもの手続代理人弁護士が話合相手になってあげることも大事で、これは調査官にはできないことである。理想では排斥する関係ではないが、調査官調査がいい加減なときに、登場しているという印象であり、客観重視と主観重視など、それぞれ相互に補充し合う関係にある。是非、人訴手続にも準用していただきたいものである。 二宮が指摘するように、調査官制度があるからいって、手続代理人がいなくても良いということにはならず、手続代理人制度があるからといって調査官調査が不要になるわけではないと考えられます。