兄弟の分属を認めた原審を即時抗告審で覆し父の監護者指定を得て勝訴した事例
兄弟3名ABCのうちABは父、Cは母とする第一審決定
相談者情報
Xさんは、Yさんの不祥事により、Yさんが別居する形で別居をしましたが、その間のこどもABCは、概ね父であるXが監護している状況でした。様々な経過やコロナ渦に監護分掌状態が生じ、夏休みの終わりに父がABCを自宅に戻したところ、Yからこどもの監護者指定・引渡しの申立てがなされた。
審判は翻弄されたようであり、調停に付されたが、白黒の決着しかあり得ない子の監護者指定でお茶を濁すような調停進行があったようである。
母は非現実的な面会交流案を提示し、それは松戸事件を超えるような内容であった。
担当裁判官がエフピックを敵対視し、エフピックを利用しているXに不利な裁定をすると言い出し、ABは父、幼少のCは母という形で分属の審判を出した。
ヒラソルは、原審の決定文について解説して、論理構成上の問題点、実際上の問題点などを指摘し、兄弟不分離の原則にそれほどこだわらない方が良いであろうとアドバイスをしていたところ、依頼を受けた。
兄弟を分離させたくない!
Xの希望は兄弟の分属を希望しないというものであった。様々な議論はあろうが、カウンセラー資格を有するXの母と面談をして、その意向を聴取した。
即時抗告理由書を作成する中では、抗告の提起から14日以内に理由を提出しなければならず、その間に、一審の記録の引継ぎはもちろん、こどもの面談なども、カウンセラー資格を有するXの母同席で行った。
複数回面談をした。意向や心情は比較的明確であった。
様々な手続的方法を駆使のうえ勝訴。
兄弟不分離についての論旨
ABの監護者については、原審において抗告人と指定されている。その判断の理由は、・・・ABの年齢や特性を踏まえると、両名の意向を十分に尊重する必要があり、両名の意向や監護環境の継続性を重視し、抗告人を監護者に指定することが相当である。
Cについてみると、Cは主たる監護者はYであるし幼く、Yとの心理的つながりが強い。また、別居後一定期間YがCを預かっていた。
しかし、Cは、某日意向、某年間、抗告人の単独監護の下、自宅において兄らと共に順調に生育しており、兄弟の関係も良好であって、兄弟が離れ離れで暮らすことについては兄弟全員に強い拒否感がある。
このような状況で、CのみYの監護下に移すことはCに対して大きな精神的負担をかけるし、ABにとってもYへの不信感を強める。
原審は、抗告人にCの監護開始に違法性があるというが、Yは不祥事発覚後単身でいったん別居し、その後自宅に戻ったが再度別居し実家に戻っている。この間は監護分掌の状態にあった。そうすると、抗告人が一方的にCを監護下に置いたとしても監護者についての合意は形成されるに至っておらず、Cも生活の本拠地はXの自宅にあった。
その他第三者からCの情緒不安の指摘があったところであり、抗告人は、兄弟一緒に過ごさせるのが良いと考えたところであり、このような動機は非難されるものとはいえず監護者としての適格性も欠かない。
以上のとおり、Cについて兄らと一緒の自宅において生活している現在の監護環境を変更させるべきとはいえないのであって、年齢や同居当時の監護状況を考慮しても、長女らと一緒に生活させることが成育上望ましく、現在の生活環境を継続維持することがCの福祉に適う。
よって、Cの監護者はYとすることは相当ではなく、Xと指定するべきである。
新しい兄弟不分離の価値と家事抗告審の最新の知見を主張
兄弟不分離の原則は、補充的なものであり、価値がないものと解説する教科書が多い中、近時の指定研究では、見直しを示唆する「新しい兄弟不分離の利益」が指摘されている潮流を紹介しました。
すなわち、兄弟関係の愛着関係は、「忘れ去られた絆」(Forgotten Bonds)といわれるように、子の監護評価において十分配慮されてきませんでした。
しかし、兄弟の絆は元来、親の紛争に直面した子がこれを乗り越える際の支えになるものです。
年齢が増すにつれて兄弟の絆が深くなったり親に対する好みより重要度を増すという指摘もあることを家庭裁判所調査官の指定研究を引用しながら主張しました。
家事抗告審においては、高等裁判所で、兄弟を新たに分属させる決定が維持された事例はないということを指摘しました。
兄弟の分属のケースはざっと検討してみると、①大阪高決令和元年6月21日、②東京高決令和2年2月18日、③東京高決令和4年11月17日の3件が見当たりますが、いずれも特徴的なのは現状の同居親自体が分属しており、かかる現状が全て追認され分属が認められたものでした。つまり、現状の変更を伴う分属を認めた高裁判例は見当たらないと指摘しました。
とりわけ家事抗告集中審の実際を取り上げ、主たる監護者基準を重視しない姿勢を打ち出している流れを指摘しました。
分属させれば、兄弟の交流がほぼなくなるものと思われるような事例では(実際、親子交流とは異なり兄弟交流という趣旨での面会交流はほとんど認められない)、同一の監護者の下で養育した方が望ましいと主張していき、その論旨を固めていきました。
以上の判例の検討に加えると、原審において、監護が安定している兄弟を新たに分離させてまで、そのうちの1人を分属させるのは、上記3判例に相反しているものであり、相当極限的なものに限られる。
このように、本件では、兄弟不分離の利益に新しい側面での価値を見直したものと受け取るものといえます。実務上の参考になるといえるでしょう。
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