中日新聞が離婚・親権・監護権の社説を掲載しました。
中日新聞の平成28年12月20日の社説を離婚弁護士が考察したいと思います。 中日新聞で離婚した夫婦のこどもの奪い合いが起きた時とありますが、離婚後は親権者が指定されるので、現実的には、別居時のこどもの連れ去り問題で、子の監護者指定・引渡し・審判前の保全処分が行われたことについての社説のようです。しかし、現在、こどもを「物」として扱って動産執行をしている、という現実とハーグ条約が整備されたので国内施行法整備と平仄を合わせるため「仕方なく」やる、という点があまりなく、中日新聞社として熱意をもって子の最善の利益を追求して欲しいものです。 「離婚した夫婦の間で子どもの奪い合いが起きたとき、引き渡しはどうあるべきか、ルール化に向けて国の法制審議会が議論を始めた。何より、子どもの苦しみを増やさない議論を尽くしてほしい。 離婚した夫婦が子どもの親権をめぐって争い、家裁が親権者や監護権者を確定した後も、親権者でない親が同居している子どもを引き渡さない場合がある。解決が進まないと親権者側が裁判所に「強制執行」を申し立て、裁判所の職員が子どもを引き取りにいくことになるが、現場で親ともめることが少なくない。昨年、裁判に勝って強制執行を申し立てられた九十七件のうち、子どもが引き渡されたのは二十七件のみだった。」 しかしながら,子の監護者指定の場合、非訟手続で行われるため職権主義で裁判官の行政処分(=審判)で行われるので裁判で行われるわけではありません。ですから、裁判官のプライベートな価値観が投影されやすく、結論の妥当性がないことから強制執行が不奏功に終わる自体にも目を向けてほしいです。なぜなら、強制執行ができないのは、子の意向があるケースが多いからです。 裁判官の行政処分で、子の意向は考慮済みのはずですが実は裁判官の子の監護者指定の判断での子の考慮の意向が「完全に間違っている」からこそ97分の27なのではないか、という問題意識を持つべきです。 ドイツの家事事件手続法では、こどもには知る権利があるといいます。私のブリュッセル在住の甥っ子は離婚する際、離婚協議は家庭内で行われていたので「全部知っているから教えてくれなくてもいいよ」と話したそうです。そして、執行官が現実のこどもと相対したとき、「僕は絶対にいかない」と峻烈に執行官を批判しトラブルになるケースが多いのです。このような場合、無理やり拉致のように「執行」するのが良いとはとても誰も考えないでしょう。ある少年は執行官がいつくるか分からないと情緒不安定になり、キックやパンチの練習をしていたそうです。私がどうして、キックやパンチの練習をしているの、と聴くと「執行官をやっつけるため」のだそうです。 「執行の際には、同居する親の家で、親が一緒にいるときに行うなど、無理な引き離しにならないための一定の配慮がされてきたが、子の引き渡しに関する明確な規定がないため対応はまちまちだ。 法制審で検討される子どもの引き渡しイメージは(1)裁判決定に反して子の引き渡しに応じない場合は制裁金を科す(2)それでも応じない場合は裁判所が子どもを引き取りに行く-という二段構えだ。」 しかしながら、私は、にわかには、この二段構えには賛成できない。考え方の違いはあるが、ハーグ条約は、子の福祉についての判断は本国裁判所がすることであって、日本の裁判所が出る幕はなくとにかくアウトゴーイングのケースでは、いったん本国に帰国して子の福祉の裁判を受けなさい、という趣旨のもので、その後、どうなるかは各国の子の福祉の裁判次第なのです。 私は、終局的には、子の居所は親権の指定で決まりますから、離婚裁判の確定までは、安易な執行が良いか意見をもちあわせてません。ゆえに、まちまちの対応が合理的なのではないのでしょうか。 「こうしたルール化の背景にあるのは二〇一四年に日本が加盟した「ハーグ条約」だ。国際結婚で離婚した夫婦間の子どもの引き渡しを決めた規定で、関連法に沿って国内ルールの整備が求められていた。裁判で子どもの引き渡しが決まっても応じない場合にまずは制裁金を科し、それでも応じない場合に強制執行へと移すのは、ハーグ条約に準じた方法である。 条約の基本にあるのは、子どもの心身への悪影響を避けるために連れ去りを防ぎ、離婚後も夫婦が共に子どもの成長にかかわることへの配慮である。」 日本の子の監護者指定では、こどもへの心身の悪影響をあまり考えていないし、離婚後の夫婦がこどもの成長にかかわることも配慮されておらず、ハーグ条約の理想との齟齬が大きいのにもかかわらず、執行、つまりこどもを執行官が奪うことだけはハーグ条約を盾にするのは「いいとこどり」という感想を持ちます。 もっとも、中日新聞もある程度、離婚についての実情、親権争いの実情は取材されているようです。 「日本はどうか。離婚した夫婦は共同で親権を持つことができないため、離婚前から子どもを連れて家を出て、親権争いに備えた既成事実化を図る例が少なくない。」 「子どもと暮らせない親が子どもとの面会を求めても親権者側が応じないケースも多い。家裁に面会交流を求める調停の申し立ては十年間で三倍に増え、一万件を超えた。 離婚後も双方が親権者となり、同居できない親も子どもとの交流を保てるなら、子どもの奪い合いはしないだろう。子どもの引き渡しという最終局面だけでなく、離婚時に面会交流を取り決めて強制力を持たせるなど、全体に目を向けるべきだ。」 中日新聞は、面会交流と共同親権の区別がついていないと思いますが、私も別居時の面会交流と離婚後の面会交流は離婚後は量が増えても良いしもっと自由になっても良いと考えています。 離婚紛争で緊張状態が高いときと離婚が成立した後では、緊張状態に大きな差があるのです。そして、やはり私が求めたいのは、宿泊付き面会交流の定例化と面会交流の直接強制を可能にするという点です。なぜ、こどもを誘拐のように連れ去る執行は直接強制ができるのに、それとほぼ同質で子への影響力が低い面会交流について直接強制ができないのかは、立法政策上、アンバランスではないかと思います。 いずれにしても離婚には、法的、経済的、情緒的の3つの離婚があります。情緒的離婚というのは、相手に対する憎しみや憎悪といったものです。普通は時間が解決してくれるのですが、「心の持ちよう」など親教育も必要で、法的離婚や財産分与等や公的給付による経済的離婚が成立したのに、いつまでも憎しみは消えないからこどもに会わせない、というのは、こどもの立場から考えて最善と考えていればそれで良いと思います。しかし、憎悪や憎しみ、あるいはくやしさといったネガティブな感情に基づいているのであれば、それを乗り越える努力が必要ではないでしょうか。 最近、公表判例でも「共同監護状態」という事実認定が増えてきました。1週間おきに交代で監護するというものや、家事などの面倒は別居妻が行うというケースです。 他人をいつまでも赦せないという人は、いつまでも痛みがとれない傷を負っているようなものです。傷はいつかは癒えていきます。癒えない傷をいつまでも抱えていれば人生は楽しくありません(ジョセフ・マーフィー)。特に面会交流では、監護親が拒んでいる場合は、「非監護親を許せないという気持ちをもっているのでしょうが、それは非監護親の問題ではなく監護親自身の問題でもある」と理解しましょう。やや分析が欠けます社説ですが、標準的な離婚の場合、子の福祉を考えた妥当性のあるものだと思います。 相手が酷いことをしたから許せないのではなく、あなたが許したくないから許せないという状態が続いているのです。