引き渡し・連れ去り

個人保護命令に反する行動はとっていないなどハーグ条約施行法28条1項4号の返還拒否事由が認められないとして返還を認めた事案

ハーグ条約に基づき父である相手方が、母である抗告人に、子を常居所地国であるシンガポール共和国に返還するよう求めた事案において、父親の母親に対する暴力について個人保護命令が発令されているが、その後は個人保護命令に反する行動はとっていないなどハーグ条約施行法28条1項4号の返還拒否事由が認められないとして返還を認めた事案

大阪高裁平成29年9月15日

第1 抗告の趣旨及び理由
   別紙即時抗告申立書及び抗告人第1主張書面(各写し)のとおり
第2 当裁判所の判断
 1 略称は原決定の例による。
   当裁判所は,原決定は相当であると判断する。その理由は,次項に抗告の理由について補足するほかは,原決定の「理由」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原決定8頁18行目の「申立人」を「抗告人」に訂正する。
 2 抗告の理由についての判断
  (1) 法28条1項4号(重大な危険)
   ア 抗告人は,相手方が抗告人の生命,身体に重大な危険を及ぼす暴力を継続的に行ってきており,シンガポールの個人保護命令には相手方の抗告人に対する暴力等を防ぐ効果がないから,今後も相手方が抗告人に対して長女に心理的外傷を与えるような暴力を行うおそれがある旨主張する。
     しかし,相手方の抗告人に対する暴力の態様等は原決定を引用して認定したとおり(本件暴行等)であり,いずれの暴力も,双方の関係が悪化し,口論になったことを契機とするものであって,相手方が抗告人の生命,身体に重大な危険を及ぼす暴力を継続的に行ってきたものではない。また,抗告人は,いったん長女と共に日本に帰国した後,個人保護命令の審理や相手方と長女との面会交流のために,シンガポールに複数回入国しており,その際,相手方が個人保護命令に反する行動をとっていないことからすると,シンガポールの個人保護命令には,相手方の抗告人に対する暴力等を抑止する効果があったといえる。したがって,抗告人の上記主張は採用できない。
   イ 抗告人は,抗告人がシンガポールにおいて長女を監護することが困難である旨主張し,その理由として,長女は日本での生活に完全に適応しているから,シンガポールに返還されると長女の心身に重大な害悪が生じる,抗告人がシンガポールに戻れば,その住居が自宅であっても,抗告人のPTSDが悪化するおそれがある,相手方はシンガポールにおいて今後も長女に暴力を振るうおそれがあるなどと指摘する。
     しかし,長女の年齢(2歳■■月)に照らすと,長女がシンガポールに居を移されても,生活環境を整えられることにより,その環境に適応する可能性は十分認められるのであって,シンガポールに返還されることで長女の心身に重大な害悪が生じるということはできない。また,抗告人がPTSDを発症している(乙85)としても,シンガポールで居住することで,その病状が悪化すると認めることはできない。さらに,本件記録からは,相手方が長女に対して暴力を振るったことを認めるに足りる資料はなく,今後相手方がシンガポールにおいて長女に暴力を振るうおそれがあるとはいえない。
     この点に関し,抗告人は,当審において,上記の各主張に沿うかのような意見書(乙81)および診断書(乙85)を提出する。しかし,乙81については,医師としての具体的な診断結果に基づくものではなく,長女がシンガポールに返還されれば,長女の心身に重大な害悪が生じることが予想されるとか,その可能性をいうにすぎず,乙85についても,抗告人のPTSDが悪化すると予想されるとか,相手方が長女に暴力を振るうなどの可能性を指摘するにすぎないから,いずれも採用できない。抗告人の上記主張はいずれも採用できないというべきである。
   ウ その他抗告人が法28条1項4号について縷々主張する点は,同号の返還拒否事由がないとの結論を左右しない。
  (2) 法28条1項2号(監護の権利の不行使)
    抗告人は,抗告人が平成28年■月■■日に長女を連れて自宅を出てシェルターに入所して以降,相手方が長女に対して現実に監護の権利を行使していないことは明らかである旨主張する。
    しかし,抗告人が長女を連れて自宅を出てシンガポールを出国するまでの間,相手方が長女を監護し得なかったのは,抗告人がシェルターに入所して相手方に居所を隠していたためであって,相手方が長女の監護の権利を放棄したのではない。したがって,本件において相手方が現実に監護の権利を行使していなかったとはいえず,抗告人の上記主張は採用できない。
  (3) 法28条1項3号(本件留置に係る承諾)
    抗告人は,相手方が抗告人及び長女がシンガポールを出国し日本に入国したことを知っても,直ちには子の返還の申立てをせず,日本入国から約1年後に本件申立てをしたことをもって,相手方が本件留置を事後的に承諾した旨主張する。
    しかし,相手方は,平成28年■月■日,抗告人及び長女がシンガポールを出国し日本に入国したことを知り,その約1か月後の同年■月■日にはシンガポールの中央当局を通じて条約に基づく援助決定を申し立て,同年■■月■■日付け日本の中央当局の援助決定通知を受け,その後,同年■■月には抗告人から離婚を求められたがこれに応じず,平成29年■月■■日から同月■■日までの間,外務省の面会交流支援事業を通じて長女と面会交流をし,同年■月■■日,原審裁判所に本件申立てをするに至ったのである。
    このような経緯からすると,相手方の本件申立てが抗告人および長女の日本入国から約1年経過しているとしても,相手方が本件留置を承諾したとみることはできない。したがって,抗告人の上記主張は採用できない。
  (4) まとめ
    以上のとおり,上記(1)ないし(3)の抗告人の主張はいずれも理由がなく,その他抗告人が縷々主張する点は,原決定が相当であるとの結論を左右しない。
 3 結論
   よって,原決定は相当であり,本件抗告は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり決定する。

パースペクティブ

 本件における主要な争点は、常居所地国に返還することにより、その心身に害悪を及ぼすことその他長女を耐えがたい状況に置くこととなる重大な危険があるかという4号拒否事由があるかにある。

 法は、裁判規範を明確にするため、該当性判断にあたり考慮要素を法28条2項に列挙している。そして、長女がシンガポールで暴力を振るわれるおそれ、長女に心理的外傷を与えるような暴力その他有害な言動を受ける恐れ、父母がシンガポールにおいて長女を監護することが困難な事情について検討がなされた。

 これを本件についてみると、父親による暴力や心理的外傷を与えるような暴力等は認められず、その一つの根拠として、父親は保護命令に反する行動をとっていないことを挙げている。注目すべきは長女が返還されると母の心身に重大な害悪が生じると主張し診断書が提出された。しかし、いずれも医師の具体的診断結果に基づくものではなく、害悪の発生を予想し、あるいはその可能性を指摘するものにすぎないとして、採用しなかったものである。診断書は類型的信用力が高いとされているが、医師による意見書の信用性評価について、診断等が前提としている事実関係は専ら監護親の説明に基づいており、内容の正確性が担保されていないとか、監護権を侵害された親と子の面会交流の状況と整合しない内容を含むとか、子はこれまで精神状態の診断を受けたことがなかったなどを否定し、医師の診断書の信用性を否定していることが注目される。

 

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