離婚後の生活や手続き

次世代の家族法

求められる家族法

 ステレオタイプの家族像というのは、団塊の世代やそのジュニア世代を中心に確立されたのかもしれない。

 しかし1994年、国連国際家族年においては、家族は定義不能なものとされている。あえて定義を試みるとケアを分かち合い、信頼と協力関係にある特定の人の継続的な集まり、あるいは安心と安全を確保する場合だろうか。「ニューヨーク・ニューヨーク」でボストンからニューヨークに出てきた警官が、「オレはホームが作りたかったんだ」というセリフにはステレオタイプの家族像は見当たらない。

 今後は、もちろんパートナーシップは特別な絆という位置づけだと思うのだが、血縁、地縁、人の縁、職場の縁といった多様の縁の中に家族も位置付けるのが相当ではないか。考えてみれば、人は社会に出てから親よりも上司から教育を受け、同期から刺激を得る機会も多くなるかもしれない。

 ただ、私が、このサイトを通して強調しているのは、家族というのは、社会の最初の出会い場ということである。やがて各人の知恵と情報を伝え合う場、社会的サポートと連携・協力する場になるかもしれないが、愛着形成、愛情豊かに育つか、リーダーシップがとれるかなど、そのファーストステップは家庭にあるのだ、という認識だ。そうした機能の上に家庭というのは、社会的機能を果たすようになるのではないだろうか。

多様性を認めることが重要

 例えば、私の母親は教師であったし、叔母は専業主婦しかしたことがない。当然、両者の間の価値観は同じ女性とはいえ全く異なる。もっとも、各自が異なる考え方、価値観を持つ存在であることを認め合わなければ親族としての社会的機能を持つことはできなくなってしまう。

 たしかに家族の親密さは何ものにもかえられない魅力があるが、むしろそうした魅力を家庭に閉じ込めておくのではなく、ソーシャルインクルージョンとして社会的巻き込みを図っていくことが大事だ。そうした親密さを社会にも広げる社会連帯の役割に法律の専門家の弁護士もいるのではないか、と考えている。

家族の中の個人の尊重

 将来の残された課題としては、家族が個人の尊厳に由来する個人の尊重を保障されるかが重要である。

 その一つが選択的夫婦別氏制度である。我が国は家族中心主義ではなく夫婦中心主義をとっているから、夫婦が同じ氏を名乗るのは論理的な帰結といえるのが韓国と異なる点である。しかし、氏名というのは個人の人格の尊重で、女性にしても男性にしても、婚姻後も旧姓で業務に就くのが当たり前の社会慣行が確立されてきているといえる。これを憲法的権利として承認する必要があるというのが、次世代の法律家ないし弁護士に残された課題である。

 その他は、性的マイノリティに対する偏見や差別の除去であると思われる。結局、家族の機能を多機能とみると、「男は仕事、女は家事」のようなステレオタイプではなく、また、仕事場も含めた人の縁の一つと位置付けられることになる。その中に男性同士、女性同士の家庭があることを憲法的に承認することも将来の残された課題である。

 家族は、共同生活やケアの安定性を図る仕組みであり、同性カップルだからこれを否定されるいわれはないのである。

血縁と婚姻の枠を超えた子育てへ

 特別養子の年齢が拡大されるのではないかといわれるのも、必ずしも血縁のみならず社会的縁で結ばれることもあり得ることも一つといえる。

 現在は、父母が婚姻中の場合は父母の共同親権、離婚や婚外子は父母いずれかが親権になる。しかし、婚姻しているか否かにかかわらず、子には親から愛着を受けたり養育を受けたりする権利がある。したがって、離婚、婚外子の場合も、父母の共同親権(ペアレンティング)を原則化する必要がある。

 離婚後の親子の交流、養育費の分担はその実践といえる。こどもにもこどもを中心とした親密圏やホームが存在しており、その中には離婚した非監護親が含まれていることもある。もちろんこどもの情緒を踏まえて行う必要がある。

 しかし、今後は、ステップファミリーのニューパートナーや子の養育に関わる大人、場合によっては保護者が両方とも男性ないし女性ということがあっても良い。家族と社会的支援を多層化していくことが必要であり、これまでの閉鎖かつ情報の秘匿から、開かれた親密圏の確立という観点は重要なのではないだろうか。今後、離婚の増加で養子縁組、特別養子、また不妊治療で生殖補助医療、精子・卵子の提供者、虐待に関連して里親など、「家族」という定義は様々な人たちを巻き込んでいくものであることを理解してくださると幸いである。これは、法律家にも同様のことがいえよう。

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