離婚後の生活や手続き

アウシュビッツとシュシュ

フランクからクラクフに到着。夕方に到着してポーランド料理を食べに行きました。 コメやロールキャベツのようなものなど,日本と同じように四季があるため、夏のスープも冬のスープもありシュシュも大満足でした。 翌8時からアウシュビッツにガイドをチャーターして向かいました。僕は、10歳のシュシュと10歳のトニー・バーゲンソール。 シュシュに、トム元国際司法裁判所判事の伝記も説明しようか、少し迷いました。 アウシュビッツは、緑やブロックの家は立派で、とてもホロコーストが行われたのか、外からは分からないのかもしれません。 シュシュは、ベルギーの学校に通っているので、現代史も学んでいます。当然ナチズムも。 当然、ホロコーストのこともしっています。 僕は、10歳の少年は殺害されるか、メンゲレ医師の実験台にされるかどちらかです。 そこでトムがどのようにいったのか、杉原のように普遍的価値を体現するかのように、トムのように勇ましく立ち向かうということや杉原のような人間としての価値の擁護者になって欲しいと悟りました。 シュシュにとって、トムの話しも衝撃的のようだし、1カ月でガス室に送られた写真がかざられました。感受性豊かなシュシュ。ただ、快晴と緑が彼を励ましていると思います。 やはりガス室、そしてそのとおりの燃やす部屋。シュシュには刺激的だったのかもしれません。 トムのことを英雄のようにシュシュは思っているので、死の行進で足の指をいくつか失ったということは伝えませんでした。 シュシュには,死の行進でトムがベルギーについたとき、中年女性から「また臭いユダヤ人がいる!」と罵声を浴びせられたことと、トムのものほしさの目にナチ兵がコーヒーをもってきてくれたことがありました。ユダヤに対する憎悪と人間としての慈愛。この相反するドイツ人の行動にトム元国際司法裁判所判事は、そのことについてうまく説明できないといいました。シュシュにも尋ねてましたが、シュシュはシュシュなりの考え方を示してくれました。そうかもしれないね。 トムは、アウシュビッツの体験とその後の法律家としての体験は延長線上にないといいます。しかし、トムは国際法にしか関心がなく、私がやるような典型的な契約書、離婚、相続、会社設立といった仕事をすることはありませんでした。そして米州国際司法裁判所、スイスの仲裁人を経て国際司法裁判所判事に就任しジェノサイドに対する調査をされていました。僕とシュシュは、やはりトムは、彼の場合、過去の延長線上未来にあるよね、ということやナチズムについての意見交換、パレスチナやイスラエルの問題についてもシュシュと意見を交わしました。やはり欧州の学校はすごいなあ、と感心。その後は、塩の洞窟の方にいきましたが、結構アウシュビッツも塩の洞窟も長い道のり・・・。途中でシュシュは「でっかい赤ちゃん」でおんぶということになり、僕の疲れと半分幸せを噛みしめながら、ポーランドの郷土料理屋さんで休憩しました。 ポーランド、同友会の人から韓国企業の進出が目覚ましいという話しがありましたが、ポーランドは韓国の影響力が大きく、起亜や現代が多くみれ、テレビもKBSワールドも受信できるようになりました。その後はクラクフの旧市街を見学しに、その日は精一杯活動したので、クラクフをみてワルシャワに移動します。

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