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The way I am

パリにて

甥っ子のシュシュがブリュッセルに住んでいる。ときどきパリで落ち合うことがある。もうそんな年齢になったかぁと感じつつモンパルナスの駅に、TGVが滑り込んでくるのを待つ。

 ところで、シュシュが日本に戻らない、あるいは、戻れない理由の一つに「同調圧力」「ムラの掟」のようなものがある。もちろんフランスにしてもベルギーにしても多民族国家であるとしても、それでも白人がマジョリティだ。シュシュは常に「君はどこの国の子?」と聴かれる。「ベルギーだよ」と答えると、今度は「ではオリジンはどこ?」と聴かれるのさ。それで中国系、韓国系、ベトナム系と仲が微妙になることもあるが、ここは多民族国家であるので日本ほどオリジンですら重要ではない。

輝く未来がこの腐敗の中にもしもあるのなら君と見てみたい

 欧米に滞在していると、「individual」という言葉を意識する。法律家として文章を書いているときもこの「individual」にはお世話になる。一例を挙げれば、「the rights of the individual」とか,「Everyone shoul be respected as an individual.」とかだ。

 そもそも、「個人」と約束をされているが、キリスト教では告解(教会に許しを請うこと)で、自分と神が向かい合うことで、神に自分の罪を告白することで長い時間をかけて個人が成立している。だから,「individual」というのは単に個人と翻訳されるが、そういう長い歴史がある。

 日本では、神と罪と向かい合う歴史がないため、正確にindividualに該当する言葉がない。このことから日本の個人主義はタテマエ的であり、中身を伴っていないのではないかと思われるのである。欧米では、インディビジュアルがあるが日本にはこれを存在しないため、同調圧力が強く、自己主張をすると「出る杭は打たれる」ということになる。例えばNHKには、「出る杭にはなってはいけない」というムラの掟があったため、フリー願望があるとうっかりNHK関係者の前で発言した、有働由美子アナウンサーが「朝イチ」の降板を強いられることになった。有働アナウンサーは日本的なムラ社会ではなく、ニューヨーク支局記者として同じメディア関係者から「もっと自己主張をすべきだ」と諭されていたのだという。それがNHKのムラの掟に抵触することになったわけだ。こんな不合理なことは許さないと、一緒の降板にこだわったイノッチは男を上げたと思う。結局、その後,有働アナウンサーはフジテレビ、TBS、テレ朝,日テレから報道キャスターのオファーがあったことが,現在では,むしろ右や左をみてきょろきょろしているだけであり、individualを持っている人こそ評価される矛盾も生じているところが難しいところだ。

こういう「みんな一緒」ということでも能力に差が生じる。そこに「ねたみ」が生じることになる。実は、この気持ち悪い「ねたみ」というのは日本独特であり、海外にはあまり存在しない。

結局、シュシュの心の中もそうであるように、神に向かって自分の罪、つまり自分の内面を告白することによって個人が確立した。ゆえに、個人の集合体として「市民社会」が形成され「世間」が否定されたのだ。

だいたい日本で問題になっていることは、individualで解決ができる。結婚をするのも、こどもを持つこともindividualである。離婚するのだって、individualだ。

individual

例えば、財務大臣のセクハラについても、個人の内心・領域に関することは、まさにindividualなことであるから、そもそも踏み込まない。日本の満員電車も信じられない。これは、身体を密着させることで、その人の個人の領域を侵害したということがある。心なしが盗撮が多いのも、他人のindividualを理解していないからかもしれない。

過労自殺した高橋まつりさんは、「年次の壁は海よりも深いというムラの掟を忘れて年の近い先輩になれなれしい口をきいて怒りを買ってしまい、私の精神がまた傷ついてしまった」とある。

そもそも世間は「贈与・互酬の関係」が前提にある。会社が面倒をみるから社員は忠誠を尽くすのだ。しかいながら、必ずしも会社からのベネフィットが期待できなくなると、世間のルールばかりが目立つことになり、世間は深刻なストレスをため込み、共通の敵を作りガス抜きを走ったり、「共通の時間意識」によって異質な者を排除する同調圧力がますます強くなってきている。まるでナチスのようだ。

*アウシュビッツ強制収容所、ガス室の隣にある焼却場。世間を投影した「空気」が暴走するとここまでのことがなされるということである。

弁護士会でも医師会でも、帰属意識が低くなっているのである。高額の会費を巻き上げながら、それに見合うベネフィットを提供できていないから、世間の常識である「贈与・互酬の関係」という根本が崩れていることと、そもそもindividualは幸福追求権として憲法に継受されているのであって憲法の擁護者が矛盾することをしている自己矛盾が大きいと云わざるを得ない。

では、働きやすい弁護士会とするにはどうしたらよいのか、そのヒントは徳島県の海陽町の取り組みにある。詳しくは岡壇「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」に譲る。

・まずは自治会などの強制加入団体を廃止したことだ。そもそも会員間の相互組織があってもみながそれを望むわけではない。仮に廃止できないとしても、弁護士会との会計とは独立させるべきではないか。多様性を尊重し、異質や異端な者に対する偏見をなくし、多様性を前提とするコミュニティにする必要があるのではないか。いまはまるで、コピーがたくさんいるようで気持ち悪い。「共通の時間意識」によるしめつけの結果だからだろう。

・人物本位主義とは、副会長経験者など職業上の地位や学歴が、精神性が優れていることと関係ないことを自覚して、その人の問題解決能力や人柄を見て判断するということである。特に、東京第二弁護士会では、各種の委員会の副委員長は30歳代である。いくらなんでも老害が過ぎるのではないか。

・弁護士会は弁護士の活動を邪魔しないこともあるだろう。最近の若い弁護士は「どうせ自分なんて」といって、「お上頼み」になってしまっている自己肯定感の低さがあるように思う。しかし、新しいビジネスを作るくらいの気概が必要であろう。

・病を外に出すこと

 弁護士会のような業界団体に期待することは、問題の相談とその解決だけである。援助を求める行為への心理的抵抗を下げることだが、逆に弁護士会自体が、「ムラの掟」を強引に、かつ、狂ったように護らせようとしていると、かっての坂本弁護士一家殺害事件のような深刻な業務妨害には立ち向かうことはできない。考えてみれば、岡口基一裁判官は、分限裁判を申し立てられたが、これは東京高裁長官との口論の末にすぎないようにも思われる。そうであれば、従業員的立場にある岡口氏を擁護する苦情処理委員会がないというのも驚かされる。結局、岡口氏は、自分と同期の弁護士の私的な弁護団に頼った。

・第五は緩やかにつながるということである。

 individualという考え方からすれば、弁護士会は弁護士を雇っているわけではない。また、人数が増えたようにムラの掟の理論的前提である持ちつ持たれつなどという関係はとっくになくなっているのだ。そして税理士会のように、会を上げて団結することをめざしもしなかったその結果が今である。誰も読まない政治的声明をほぼ連日出し続けているだけである。その内容も他の弁護士会と代わり映えしない。勇気も必要だが、教養の程度がうかがえる。基本は放任主義であるが、必要があれば過不足なく援助するゆるやかな絆の維持が必要である。また、相互扶助組織のメンバーも現在利権化してしまっているから、爾後、固定しないように、コミュニティの人間関係の硬直化を防ぐ必要がある。

・不思議なことに同調圧力とは全く別のことをする方が、組織運営はうまくいくのだ。

・いろいろな人がいてもよい、いろいろな人がいた方が良い、ゆるやかにつながる、かくあるべしと勝手に決めつけない。街の中で多様性を持つ個人を尊重するということであって、みんな同じであることを要求し同調圧力を産む共通の時間意識のルールとは真逆である。また、人物本位主義は本来は当然のことであると思うが、チャンスを若いうちに与えておくことは経営者の当然の義務といえるだろう。若い人が、世間の年下だとか、先輩とか、役職の格下とかの「身分制」にとらわれないことである。そして、若かろうがそうでなかろうが相互尊敬が必要である、ということだ。

・どうせ自分なんて、とは考えない。現在、世間があってそれは不変というように考えるより、例えば、弁護士だって、主体性を持った個人として日弁連を構成するなど、積極的意味合いというべきだ。

・さらに病は市に出せ、というのは、まさに弁護士の仕事そのものだが、自分の病は出せないというのはおかしい。弁護士会は自治を背景としているが、負荷制・抑圧性を持っていることを忘れるべきではない。きびしいギルドのイメージではなく、やさしい個人の社会を目立たないといけない。

PRAY TIME

シュシュの長い夏休みが終わり、今日から5年生だ。いってらっしゃい。この夏もたくさん遊びました。一緒に祈って欲しいという。普通のファミレスで祈りを捧げる。

語彙が少ない僕はフランス語でいう。

 「この先のために歩み出そうとしている私たちにどうぞ勇気を与えてください。扉を開いてください。願わくば、彼の父母の限りない愛とともに」

シュシュはフランス語でいう。

やっと笑えた後は決まって残酷な現実が頬を叩きに来るね。それでも未来は明るいものだって君が信じていたいと言う限り、僕はここに居て頑張り続ける。だからこそ勇気が潰えてしまったときはどうか僕をきっぱり捨ててください。でもなんとかもう少し願わくば、母と叔父の限りない揺るがぬ愛が続かんことを祈ります。」