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スイミーの勇気と知らない勇気

 大学のエクステンションセンターで講師をしていると、ときどき「そんな簡単なことはしっているので、もっと難しいことを教えて欲しい」という生徒がいる。そして授業が終わると「先生はこういいましたが、こうではないですか」と指摘してくるのである。

 私は、こういう生徒の熱心さが好きですが、基本に忠実というのは、囲碁の世界の定石や棋譜並べの検討と同じです。しかし、表面的に難しい知識を身に着けることに焦っているようにも思えます。これは、いわば、そこそこできる生徒の行動です。

 もうワンランクアップになると、自分が解いた問題であっても、解説で思考の手順を反芻しているこどもが多いです。自分が何となく解いてしまった問題について、そのような理屈がついていたのか、この問題にはどのような関連ないし派生問題があるかに注意がいっています。彼らは基本に忠実で、基本を固めて応用を時々反芻することで法学を完成させていきます。

 法学といっても、実質的な定石はあるのです。ですから、判例をたくさん丸覚えしても、たとえ古い判例であってもその判例の基本は何であったか、ということを検討することに意味があるのです。特に刑事訴訟法では、高輪グリーンマンション事件、ロザール事件、大津事件などなど出題される判例は同じというケースが多いのですが、真の知を知るためには自分にはまだ知らないことがある、と考えることが大切です。

  センター試験でも、「未知との遭遇」が出題されましたが、世界は広いものです。特に海を入れると、我々が知っている世界というのはほんの一握りなのです。自分では、よく知っているつもりでも、まだ足らないところがあるかもしれない。そういう吸収する「余裕」を残しておくことが大事ではないでしょうか。

 とはいうものの、甥っ子が「スイミー」の話しをしてくれることがありました。オランダ出身のレオ・レオニの絵本の話です。この話は、単にスイミーがみんなと団結してマグロに立ち向かうという点に本質があるのではありません。スイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだったのです。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのでした。そして、自分だけが黒い魚であったとしても、人がそれぞれ違うのは当たり前、そして違うことによって役割が異なること、スイミーの勇気、甥っ子ならほほえましいものです。「スイミーから何を感じた」と質問をしました。でも、なかなかレオ・レオニの意図に応える答えは戻ってこないものですね(笑)。スイミーには多様性というキーワードも含まれています。