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信頼を失う裁判所―国を忖度と朝日新聞、毎日新聞が報道

裁判所が国を忖度している―突き詰めれば司法が行政を忖度している、そう複数の新聞が報道した。本気で市民が裁判所は国を忖度するものと思っているのだ。忖度ということは、なんとなくの空気ということだ。これで判決が左右されるとは恐ろしい。これは、離婚訴訟だって、訴訟と名前がつくものには同じである。 重大な過失はない。不合理な点はない――。東京電力福島第一原発の事故後に千葉県に避難した住民が起こした訴訟で、千葉地裁は22日、「ふるさと喪失」について賠償を認めた一方、原発事故前の国や東電の取り組みについて、問題はなかったと判断した。「不当判決だ」。避難生活を続ける原告から憤りの声が上がった。 朝日新聞は「『国を忖度』憤る原告」と題する記事を発表した。朝日新聞のタイトルでも使用されていることからも、朝日新聞自体の報道の趣旨ともいえる。編集権があるものは記事を選別でき、あえてオピニオンを述べる必要がないからだ。 千葉地裁の論理はたしかにこれだけの成熟社会において過渡的な措置論が通用するとした点で違和感がある。 過去、東北地方には大型の津波が押し寄せた歴史など何回もあり、その対策ができないといっても大きな防潮堤をもって津波被害を免れた街もあると聴く。津波の長期評価には異論もあったといつまでもいうことができるのだろうか。昔の河川での過渡的な措置で足りるとする議論を思い出すが、もう何十年も前も多摩川訴訟等が想起されるが、川と原発は関係がない。悪しきこじつけ論法である。裁判所は原発の稼働は「国が安全といっている」と述べてこれを認める一方で、いざ事故がおきたら「国は過渡的な安全性で足りるのであって・・・もともと危険である。」といっている。津波や放射能被害という不可逆的な被害を「しょうがない」といっているかのような点で、久間防衛相の「原発しょうがない」発言を思い出す。今一度、あのときの報道などを見直してみたら良いのではないか。 しかし、一般市民から裁判所は国に忖度していると公然と批判が上がること、自体異常であることを裁判所は肝に銘じなければならない。 小田靖子名古屋家庭裁判所裁判官は調停中に帰宅し調停委員が調停ができるか分からない事態が生じた。こういうことの積み重ねが司法不信を招き、「絶望の裁判所」や「裁判所の正体」という元裁判官による内部の暴露に、韓国の裁判所当局が数十冊を買って来いという命令を出したと聴く。 国民に媚びを売れといっているのではない。正義や社会常識に合致しないからこのような批判を受けるのだ。うちにこもっていてふるさとをもたない根無し草の裁判官。社会常識を行政訴訟に取り入れる仕組みが必要であろう。家庭裁判所もそうであるが、行政訴訟などにも裁判員裁判を導入することを考えるべきではないか。