アンフレンドリーペアレントルールの東京高裁、菊池洋一裁判官は火に油を注いだだけだった。

このコラムでも、とりあげていました千葉家庭裁判所松戸支部の判決が、東京高判平成29年1月26日で破棄されました。結果的に火に油を注いだだけで、松戸の裁きがあまりに名裁きであったので、東京高裁の一方全面勝利、他方は劇的敗訴で得るものも一切なし、という判決では、今後面会交流審判でも揉めるのでしょう。こういうのは裁きとはいえず、一方に賛助しただけで裁判官としても失格なのは、下記学者と論旨は同じです。親権はお母さんでも良かったとしても、調整作業をあれだけの名裁きを引き取った高裁で一切せずの白黒判決には、失望を表明せざるを得ないですね。こどもの問題は奪い合いがおきたら量的に調整するしかありません。それすら行わないとは・・・。とう印象です。 松戸支部の判決は以下のようなものでした。  本件は,松浦遊さんと光希さんが,立夏さんの親権を争っていたものです。 光希さんが原告であり,立夏さんの健康や成長には問題がなく監護が安定していること、監護補助者がいること、養育環境が整っていること、立夏の主たる監護者は光希さんであること、監護者指定の審判で光希さんが監護者と指定されていることなどから,光希さんが親権者として相応しいと主張しました。 遊さんは,立夏さんの利益を第一に考慮して離婚を望まないため請求棄却を求めると述べて予備的に親権者を自己に定めるべきであると主張し、引渡しの附帯処分、光希さんが立夏さんと会えるように共同養育計画案を提出し、要旨100日の面会を認めるとの附帯処分の準備を提出した。 遊さんは財務省に務める国家公務員であり、光希さんは国連職員でした。光希さんは、国連職員に復帰しようとしたものの職がなく、他方、遊さんは、財務省財務官に任命されました。 その間に子連れ別居し保護命令の申立てをしましたが却下されています。それ以降は面会を拒むようになりました。 光希さんは,現在,港北医大教養学科教授として勤務している。面会交流はエフピックを使って1回2時間を要求している。 他方の遊さんは、松戸市で、広大な農地を持つ農家の二男であり、実家で叔父と県会議員を務める叔母夫婦が暮らしている。日中は遊の監護補助者に遊の父母がなることが可能である。 遊さんは、親権者に指定されても、光希さんとの面会交流を維持しておくことが長女の利益に資するものと考えて年間100日程度の面会交流を保障する旨を申し出ているものです。 そして遊さんは、合理的理由なく面会交流をさせない場合は親権者変更事由になることを自ら宣明しています。これらは判決文を前提としたフィクションである。 裁判所の親権者についての判断は以下のとおりである。 「上記認定事実によれば、原告は被告の了解を得ることなく、長女を連れ出し、以来、今日までの約5年10か月、長女を監護し、その間、長女と被告との面会交流には合計で6回程度しか応じておらず、今後も一定の条件のもとでの面会交流を月1回程度の頻度とすることを希望していること、他方、被告は、長女が連れ出された直後から長女を取り戻すべく、数々の法的手段に訴えてきたが、いずれも奏功せず、爾来今日まで長女との生活を切望しながら果たせずに来ており、それが実現した場合には,整った環境で、周到に監護する計画と意欲を持っており、長女と原告との交流については,緊密な親子関係の継続を重視して、年間100日に及ぶ面会交流の計画を提示していること,以上が認められるのであって,これらの事実を総合すれば、長女が両親の愛情を受けて健全に成長することを可能とするためには,被告を親権者とするのが相当である。原告は、長女を現在の慣れ親しんだ環境から引き離すのは、長女の福祉に反する旨主張するが、今後長女が身を置く環境は、長女の健全な成長を願う実の父親が用意する整った環境であり、長女が現在に比べて劣悪な環境に置かれるわけではない。加えて,年間100日に及ぶ面会交流が予定されていることも考慮すれば、原告の懸念は杞憂にすぎないというべきである。  よって,原告は被告に対し、本判決確定後,直ちに長女を引き渡すべきである。」 この判決は、保守的な東京高裁で維持されることは難しいと考えていましたが,案の定という結果となりました。たしかに、100日面会交流作戦は着想は良かったのですが、フランスのように、水曜日が休みの外、長期休みが夏休みを除いて4回程度ある学校政策の違いもあり、そのままは保守的な東京高裁で受け容れられる(というより日本では?)のは困難であると思っていました。谷垣法務大臣も12日か24日とか、せいぜい36日とかその程度の趣旨を述べています。私は、離婚後は36日くらいの面会交流が保障されるべきであると解します。 判決要旨は,「面会交流の意向だけで親権者を指定するのは相応しくない」「別居前から主に母が長女を監護し,安定した生活をしている。長女の利益を最優先すれば親権者は母が相当である」「フレンドリーペアレントルールは、親権者を定める際に考慮すべき事情の一つだが、成育環境の継続性や子の意思といった外の事情より重要度が高いとはいえないと解される。」「これまでの養育環境や子の現状や意思を総合的に考慮するべきである」「離婚後も円満な親子関係を形成するのに面会交流は有効な手段である」と認めつつ、「父母の面会交流の意向だけで親権者が決められるべきではなく、他の事情よりも重要だともいえない」「長女は母親のもとで安定した生活をしている。面会交流は円満な親子関係の維持のための有力な手段だが,100日の面会はこどもに負担になるおそれなどがある」として、1審判決を取消し、母親を親権者と定めたものである。 訴訟では、夫は100日、妻は12日を提案して、松戸支部は子との交流を相手方に幅広く認めた親が親権者に相応しいとして、フレンドリーペアレントルールを採用し、その考慮要素の因子の置き方に注目が集まっていました。面会交流の回数などについて母親は、今回の裁判とは別に調停を申し立てて、母に親権が認められた場合の交流回数などの取り決めは双方とも請求されていないため、100日ではなく、では何日の共同養育計画なら妥当であるのか、高裁は判断を示しませんでした。 率直に、今回の松戸支部の判決は立法政策に影響を与えるものとして、東京高裁で取り消されたとしても、フレンドリーペアレントルールを考慮要素として、より多くの面会交流を提案をした方に親権を持たせるというフランス法の原理を持ち込んだことは,今後,「子の意向」と並んで、重視される因子となるのではないでしょうか。 しかしながら,女性側の党派色ある弁護団の作戦勝ちというところで,もともと劣性であった男性側は巻き返すことができなかったと思われます。 この点、私は、東京高裁の判決は間違いであると思います。父と長女の面会交流は2010年9月から途絶えています。2017年1月26日の現在にまで面会が実現していないというのは,異常,という外はなくDVがあったと主張しているようですが、原審もそのような事実は認定もしていないし高裁も認定をしていないのです。つまり、「でっちあげDV」を主張して、7年間にわたり面会交流を拒否してきたのですから親権者としても監護権者としても相応しくないというのは、昨今の親権者変更を認めた福岡家裁や監護権の変更を命じた裁判例もあるところで、このことは人事訴訟になっても変わりません。まあ、普通の思考停止の裁判官が書いたらこういう判決になるな、という印象のものです。つまり、現状尊重の基準、母親優先の原則、子の意思の尊重の基準を掛け合わせていることは明らかになりますが、今更20世紀末に潰えたゴールドシュタインの母子優先の原則(テンダー・イヤーズ・ドクトリン)を持ち出したことには秋武教授がNHKの取材に応えたオーソドックスではなく「古色蒼然」という評価の方が的確に叶うものです。 私が残念に想うのは、主に21世紀からゴールドシュタインやアンナフロイトの見解は克服され、こどもを中心とした視点に転換され,子の健全な成長や人格形成には何が必要であり、こどもは「お供えもの」ではないし「沈黙の被害者」ではない。子の福祉も「母の福祉」ではないと断じられるようになったこの17年間の臨床の成果が全く生かされていないということです。この菊池洋一という裁判官はこの事件を裁くには高齢者過ぎるのではないか。原審は名裁きであったが、父親は上告する意向を示しているし、一審と正反対の判決を示しているため上告は当然で紛争も長引くことでしょう。こどもは9歳であり、通常、この程度の年齢のこどもは「パパとママと一緒に願うのが普通」である。それを押し殺させることが子の最善の利益に反していることが明らかであり、子の意思をフレンドリーペアレントルールに優先した利益考量をしたことは間違っている。つまり、母親の面会交流の寛容性は表面的なもので、現実は7年間もあわせていないのであって,異常というしかない。子の意思というのは母方がいいという内容の手紙や調査官報告があるとするが、名古屋高裁の藤山雅行は、屁理屈、後付の知恵と断じて信用できないとして子の意向は真意ではないと排斥している。そして、監護親にこどもは逆らえないものである、と主張しているが妥当な見立てである。今日では谷垣法務大臣も、「面会交流に積極的な親が監護権決定に有利に働くように、あるいは面会交流を正当な理由なく破ったら監護権者の変更の重要な要素になり得るというご指摘は、いずれも一般論として異論ありません」と指摘しており、一番古色蒼然としているのは、東京高裁の菊池洋一である。東京高裁も難波孝一など名判決を出している裁判官もいる。 この母親はDVも存在しないのに、エフピックで月1回2時間の面会交流のみ認めるというのですから、面会交流拒否・制限事由がないとみられる本件において、東京高裁はフレンドリーペアレントルールを余りにも軽視して、20世紀末に戻しこどもを暗黒の不安に陥れるだけだと思います。そもそも現在面会交流調停が起こっているが審判に移行してもおそらく会わせず間接交流事件に移行するものと思われます。ここまで凝り固まった人物の場合は、やはり父親の下で監護をさせて母親に面会交流させるのが妥当なケースのように思われます。遊さんは資産家であり財務省の官僚であり、社会的地位もあり、特に相手方の承諾なしに拉致された場合に継続性の原則を適用するのは相当ではないと判断した西森みゆきの名古屋家裁審判も存在しています。つまり、父親の側がこどもについて話し合う機会もなく、あるいは子連れ別居もする機会もなかったのであるから継続性の原則を適用するのは妥当ではないというのが西森みゆきの論旨である。突発的な別居の場合は子の継続性の原則は認めないという論旨も審判ではあるが存在しているのであるのです。 ここまでひどい内容であれば離婚を拒否し請求棄却を求めるべきであったが、遊さん側の弁護士は控訴審では離婚を拒否していなかったように答弁書からはうかがえます。今後、せめて面会交流調停でうまく設定がなされると良いが、光希さん側もこどもの監護が安定していることを示すため学校の調査官調査を要求するなどかなり狡猾に弁護活動を展開したようである。なお、62頁にわたり光希さんは、遊さんを誹謗中傷する控訴理由書を提出したのであるが、フェミニストの極端な弁護士が就くと和合も難しくなり、声なき声に泣くのはほかならぬこどもであり、チルドレンファーストを掲げる当職は、フェミニストの弁護活動自体が児童虐待行為であると強く非難します。 しかし、すべてのこどもの願いはそのこどもの精神の中にあるのであって親の中にあるのではないし、母親の中にも父親の中にもない。独立した精神の中で、真意に基づき今後の面会交流の実現、上告審での実質判断が可能となる上告趣意書の提出に期待したいところである(失礼ながら、あまり遊さん側の答弁書はできがよくなかったように思われた。監視付面会でも良いとするなど迫力に乏しかった。)答弁書に叙述されるように、光希さんは、自分のキャリアアップに熱心なあまり、さほどこどもの監護に「熱心」ともいえない。近時熱心さを欠くとして子を引渡した審判例もあるのであって、自らの利益追求のために他人を犠牲にすることに何ら疑問を持たない、という被控訴人答弁書である遊さん側の指摘が最も重要であるのに、この点に何ら手当をしない東京高裁の菊池洋一裁判官は糾弾されるべきである。すなわち白黒判決で何の問題も解決にもなっていない。秋武教授は「オーソドックス」というのだが昭和30年代のカビのはえた判決のようだ。 こういう自分のキャリア大好き+面会交流に不寛容という親が一番親権者に相応しくない。東京高裁は、本件判決の前に付調停にしてこどもの手続代理人を就けて、こどもの意思の真意を少なくとも測るべきであり、面会交流の附帯処分も職権で行うべきであったというべきであるように思われます。東京高裁判決は審理不尽であり、到底頷けるものではありません。まるで最高裁で、主文 原審破棄,第一審判決取消し,請求棄却の判決を受けるくらい、21世紀に入ってからの臨床の積み重ねが脆くも崩されたショックは大きいように思います。 朝日新聞の取材によれば、早稲田大学の棚村政行享受は、「日本は面会交流が円滑にできる場所や相談態勢が十分ではなく、父母間の紛争を招きやすい状態になる。判決にこの現状を改善すべきだとするメッセージがなく残念だ。離婚後も両親が共同で共同で子育てができるようにするための法整備を進め、面会交流の実現に向けた社会的支援を充実させることが必要」と結論は相当、中身は評価せずという印象でした。たしかに、一審が極端にフレンドリーペアレントルールを出したのは、ショック療法で、「人質司法」は通用しないという意味で、判決に高い評価が与えられるべきことは変わりません。また、毎日新聞の取材によれば、「同居親側の主張がほぼ通り、面会交流や共同監護に積極的な別居親には納得のいかない判断だろう。紛争解決につながらず火に油を注ぐ恐れがある。面会交流は実績に応じて段階的に増やす等別居親にも子にも妥当な案を提示する工夫をすべきだった」と批判的であります。また、百瀬孝雄弁護士は朝日新聞の取材に「面会交流の実現に踏み込んだ判断をして欲しかった」、毎日新聞の取材に「これまでの家裁実務を単に踏襲した内容で、判決は評価できない。面会交流は子の利益になることが理解されておらず6年間も父親の愛情が受けられず、交流がほとんどできないことを裁判所がどう考えるのか言及がなく残念だ。母親の姿勢にい反省を求め十分な内容の面会交流を促す指摘もできたはずだ 今後の家裁実務で両親の共同養育の重要性を認識させる判決が望ましかった」と指摘されています。 いずれも、親権は母親がとることはやむを得ないとしても、面会交流の量的調整を大胆に行った原審と異なり、全く調整作業をしなく、火に油を注いだだけ、6年間も父親の愛情を受けられないのに母親に反省を求めないのはおかしい。面会交流の量的調整を図るべきだったとか、社会にメッセージもなかったという点で、ふたりの学者はいずれも高裁判決に落第点をつけているようです。新聞はいずれも1月27日付より。

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