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木をみて森を見ず?

木を見て森を見ず、を解説する哲学書におもしろいことが書いてあった。 いわく、従妹同士が結婚することが決められている世界がある、というのである。 日本では、とても受け入れられないかもしれないものの、それは「木を見て森を見ず」ということであり、かえってパートナーをみつけたり若いことから配慮するなどの良い面もあるのだという。 たしかに、日本では、従妹同士の結婚は禁止されていないけれども、やや血縁が近いと違和感があるものの、こうしたルールがあるとパートナーが見つからないということもおこらないし、ある程度血縁も離れているし、観点を変えると合理的なシステムなのだと書かれていた。 さて、ママレードボーイというコミックがあったけれども、これも実は、ハチャメチャな両親’Sに翻弄されるこどもたちが描かれていたのですが、作者はこの哲学書を読んだのかな、と想起させられました。元祖ママレードボーイでは、AB、CDという両親’sが、パートナーを交換するというびっくりに出て、AD、BCで再婚してしまい、AB、CDのそれぞれのこどもである美希と遊との葛藤が描かれており、なぜか、僕がバルセロナを訪れたとき、スペインでとても人気があることを知りました。(当時、僕はママレードボーイというコミックを知りませんでしたが、ユーチューブでスペイン語バージョンあります。) 現在、ママレードボーイはリトルが連載中ですが、そこでは、さらに純化路線となっていて、ABのこどもである美希とCDのこどもである遊、そしてADのこどもである立夏、BCのこどもである朔が生活するというストーリーになっています。元祖よりも上の哲学書に近くなったなという印象を持ちました。立夏と朔は、それぞれ共通の兄弟である美希と遊がいるものの、お互いは血縁がないという不思議な関係なのです。 そして、やはり哲学書を意識しているのか、朔は、立夏と結婚すると中学生のころから宣言し、彼女に優しく接していきます。いわば森の立場ですね。これに対して、立夏は、朔は弟に近いといって嫌悪感を示していわば木の立場ですね。読み手からすると、朔の気持ちは若い少年の気持ちだ、と思われてしまうかもしれませんが、実は、哲学的であった、とすると作者もそのような見解から描いているとするとどのような展開になっていくのでしょうか。 最近、コミックを読んで聖書のここの部分を書いていたのか、とか日本古来の因習をテーマにしていたり、いろいろ、書かれる方も考えているのだな、と感じてしまいます。