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小室哲也と安室奈美恵の引退と華原朋美

名古屋の離婚に詳しい弁護士が小室さんと華原さんの関係性を考察。

小室哲也の「小室」さんという苗字は、最近は割とよく聴くようになった言葉である。-他方、安室奈美恵さんが来年の自身の誕生日で引退をするという。安室さんとは3つ違うだけだから色々思うところあった。

安室奈美恵さんの引退だからこそ、小室哲也と華原朋美さんの騒動は何だったのだろうか、改めて考えてみる機会があった。結論からいえば、小室さんは、華原さんに、精神的な圧迫、還元すればモラルハラスメントをしていたのではないか、名誉毀損をするつもりはないのでご本人に苦情があれば、是非、お話しをして申し出て欲しい。私は小室さんからも華原さんからもお話しをうかがう機会がない一方で、私たち、いわゆる「アムラー世代」や「小室ファミリー」世代にとっては精神的な拠り所としているかもしれない。その結論がモラルハラスメントだったとしたら、ということである。要するに今は目立たなくても、僕が初めて買ったCDは、I’m Proudであるし、そおうである、という方々はたくさんいるのではないか。ショウビズで活動している人が論理的に分析されるのは公正論評としてやむを得ないと思う。

結論からいえば、小室さんは、自分の近くに親しくもできる、それは日曜日も含めて話しもできる顧問弁護士がいればすぐにできる話しではないか、とそう思う。新たな地図=NEWsMAPというパンチが効いたサイトを立ち上げた方々もいるが、報道によれば事前に弁護士に相談をしたうえでのこと、とのことであるとのことである。中日新聞に全面広告があった。

まずは、小室さんであるが、彼は特色として、女性アーチストがいたが一定期間が過ぎると、むしろ、アーチスト側から、小室氏と距離をとっていたことが分かる。hitomiが先陣を切るだろうが私が印象的に覚えているインタヴューでも、「私は小室さんがいなくてもやっていける」ということであった。過度な依存も精神的な依存もしていないことを表明したものと受け止めた。一番健全なのはTRFなのではないかな、と思った。ある意味、グループで活動しているのでセクハラもパワハラをモラハラも受けることもなく、ビジネスライクにフェードアウトさせられた、ともいえる。楽曲も深い意味がないものと受け止められるものが多い。

しかしながら、華原さんの楽曲提供を通してみる小室哲也氏の深層心理というのは、精神衛生にすぐれているとはいえない、いや、むしろ病的なものを隠しさえしない。

私は、華原朋美というアーチストが好きだった。日本レコード大賞の金賞を受賞して花道になったと受け止めたときまでなのだが、華原さんの観方、肩入れをしている、そういう弁護士である。

そういう意味では、最近の楽曲はビジネスライクでとても健全だ、と断言しておきながら、昔話を掘り返すことにしたい。そういう意味では、華原さんの曲の中で健全だったのは、「I
Believe」だけだったのではないかと思う。華原さんの楽曲は、小室さんに「歌わされることを余儀なくされている」というテーゼを置いて考えるのである。実際、彼女は、世紀の駄作といわれる、nine cubesも歌い上げている。これの存在はiTunesでもふせられているし、第一、一時期の作品のみが「なかったことにされること」自体がおかしい。

そういう意味では、I believeという作品の歌詞をみると、Anytime I believe you are lovedとなると思うが、「いつでも私はあなたが愛されていると信じています」となる。

考えてみると、このときから既にアーチストに手を出したのではなく、恋人をアーチストとしてデビューさせたに過ぎないと週刊誌に弁明した小室氏。I Believeの歌詞の論旨は、要するに、①恋が始まったのはだいぶ昔のことのように感じるよね→②私はどんなときでも無条件に貴方の笑顔を信じるし、無条件に貴方の愛を信じる、と主張しその論拠として、華原が笑顔を探していたり、貴方を見つめていたりしたりしたからだ、というのだという。しかし、健全な恋愛をしている第三者的立場からみたら、「恋人に男性が女性に歌わせる歌」と考えるとき、僕は愛を語り合いと考えるが、小室氏は「愛を語るより、温もりだけ、ほんの少し(セックスを)欲しい日もある」と華原さんに歌わせているのだが、性交渉に至るところまで自分の見解を歌わせるというのは、感動ポルノならぬ歌ポルノではないか、と思ってしまう。

「どれほどの恋・・・星空を突き抜け雪道を走る」ことをしても「あなただけを信じたい」というのは、どのような危険な目に遭っても貴方を信じていたいということである。こういう心理はDV被害者に特有の心理ということはいえる。他方、これを歌わせる方も相当の征服欲があるとうかがわれる。

しかしながら、I Believe で救われているのは、華原の自主性も尊重されている点である。これからの未来へ向かう戦い・・・生意気な態度も時にはUSE!という点からは、小室氏も、男女の駆け引きは「戦い」であり「生意気な態度を使われても仕方がない」、彼女に「野心」があるという客観性を補足している心境がうかがえる。この点では、まだ心理的にはふたりはイーブンといえる関係がある。

ところが、I’m proudは、趣が全く異なる。

この楽曲は要するに「私は寂しくてくじけそう。溜息ばかり。でも私のリビドー(フロイトが主張する性的衝動)を注ぎこむ「何か」を探していた。」「パースペクティブが歪み、自分はセックスを求めていた」「大人から誘われて私のセックスの経験が増えていく。その経験が増えることによって、その「何か」がみつかると思った」。そして、その「何かとは、貴方=小室氏でした」という歌ということになる。そして、危険なのは「声にならなくても想いが時には伝わらなくても、笑顔も泣き顔も全てみんな、かならずあなたに知ってもらう」ということなのだという。つまり、女性側からは一方送信で構わないし、男性は、忖度、あるいは忖度が伝わらなくても、笑顔も泣き顔もすべてをオレに見せろ、という支配欲が強いことが心理的にうかがわれる。

I’m proudは当時から「援助交際を助長している」という批判があったが、こうしてみると、論理が一貫している部分は、セックスをして経験を増やしていき、その域、適切妥当な男性に見つかり、その殿方にすべてをお任せすれば良い、と書いてある。こうした内容の歌に感動を覚えるのは、やはり、I’m proud自体が、そもそもI’m proud of youとしてしか使用しないのだから、「あなたのことを誇りに思う」「自分のことのようにうれしく思う」という意味と補足すべきなのだろう。I’m proudあたりから、「私とあなた」という関係が崩壊しかけ始めている序章が聞こえてくるようです。それでもこの曲が魅力的に思えるのは、①華原さんの声質と楽曲がマッチしている、②形式面の美しさとしても「冒頭のサビを終えた直後の間奏からAメロにかけて、J.S.バッハ以前の時代に使われていた教会旋法の中からドリア旋法を用いて書かれており、敢えて現代の調性に合わないように見せかけたのち、Bメロで日本のヨナ抜き音階を取りこんでいるなど、高校までの音楽の授業で習うような理論の範疇を超えて作曲されており、手腕の高さが伺える」こと、③サビフレーズの歌詞「いちごの様に」の果物の部分は“りんご”であったが、小室が作詞をしているときに一緒にいた華原は小室がシャンパンのグラスの中にイチゴを入れる様子を見て、「I’m Proud」の歌詞に「いちご」という言葉を入れるのはどうかと提案して“いちご”に変更された」というように華原さんの意思が差し挟まれている点と、この部分の歌詞が論理を一貫することを妨げているので、真意をぼかせる意味がある、のだったのだろうと思う。

とはいうものの、「男性が歌詞を書き、その歌を女性に歌わせている」という中間項を差し挟むと、大好きだった楽曲もスガタ・カタチを変えることが分かります。

いくつかの評論をみると、save your dreamまでが許容できるレベルなのだという。

世紀の駄作といわれる、nine cubesは、いったい何が問題なのだろう。かわいくて、かっこよさが出ているのではないか、と思っていた。しかし、いくつかの再考を促す評論をみると、アイチューンにもアップされず、「なかったことにされているアルバム」なりに、第三者的に首肯できる理由があるのだな、と思った。

この楽曲は、華原と小室が破局したことが決まってから概ね作成されており、11月に発売され、12月に契約解除というもので内容に心やバッハを取り入れるような気概もないと思われる。

華原朋美 ninecubes で検索をすると、すぐに、「ボーカルの魅力を楽しむことはできない。 その特性を徹底して使わせないか、あるいは過剰に使わせて、ボーカルの発狂といった態にさせ、美点を欠点にかえている。 小室哲哉は、彼女のボーカル特性がわかっているからこそあえて「彼女のボーカルがもっとも引き立たないように」ある意味、綿密にこのアルバムを作っているのだ。
 つまり――、彼女の特殊なボーカルがもっとも引き立つように綿密に作られた「Love Brace」と、このアルバムは対なのだ。 彼女を成長せしめた要素をもって彼女を破壊する。これが狂気といわずしてなんというだろうか。」と主張するホームページに接することになる。

 当時からそのような主張はあった。ホームページのような主張、引用すると「顕著に表れているのが、シングルになった「tumblin’ dice」である。彼女の「おわわぁ」と広がる、危うくも魅惑的な咆哮。それは「I BELIEVE」や「I’m Proud」の時点では、綿密に抑制され、ここぞという時に立ちあらわれるように作曲されているのであるが、「tumblin’ dice」においては、過剰に連発される。歌いだし「tumblin’ dice」の一声でいきなり咆哮。その後もひら歌で早くも咆哮の連発。  「一日がただ過ぎるのを待って」の「待って」の絶頂の咆哮の直後に、「自然と楽な服に着替えて」の「着替えて」といきなり深海のごとき深く沈みあたりなど、さながらジェットコースターに乗っているよう。サビになると華原朋美は息も絶え絶えという感じ。へろへろだ。歌えてないどころの騒ぎでない。」という。

 「tumblin’ dice」は、新境地という感じで、僕はネガティブな評価をしていなかった。それはCMのイメージもあったと思う。主体性を感じられれば問題はないのだ。

 タイトルは「賽を投げてみろよ」という挑戦的なものである。そこで、男性が女性に歌わせるという指摘から許容限度を超えているのか、再度みることにしたい。

 この楽曲をパラフレーズすると、こんな感じになる。「賽は投げられた×3。気分も行動も沈んでいくだろう。テレビが面白くて、引きこもりになっているだろう。私はいつまでも夢見る少女。ああ、王子様と出会いたい。街を少しだけ歩くことで妥協している。」「私は、わがままな男性をいつまで見ていられるの、私はさみしい、あなたから心を揺さぶってほしい。そこがチャームポイント。」「そしてあなたが出て行ってしまい、虚無感に襲われ、からっぽの自分と付き合っていかないといけない」「運命に身を委ねてみたって、どれだけ確率の高いことだって現実化するのか。もう賽は投げられた」。

 こうみてみるとライブは盛り上げるからいいではないか、といっても、やはり、もう見放されているけれども、君は引きこもり的な歌詞は、病理的といわざるを得ない。当時は何もいわなかった方々も今、小室ファミリーブームに酔っていた、そして不適切なものも不適切といえないこともわかる。

 検索上位にくるホームページでは、「書き殴った歌詞に曲にデモテイク以下のボーカルのヘンテコなレゲエ「daily news」、 愚にもつかない華原朋美のポエムにやけくそ気味につけたメロディーのバラード「storytelling」、 サビの低音がうああっと広がっているのに、気持ち悪い印象にしかならない、ほとんど確信犯的な「here we are」などなど酷いところは探せばきりがない」と指摘されている。

 Daily newsも結局、「このごろ夢遊病のような感じで、私の歌は誰も聞いてくれないけれども一方送信したい。深層心理には誰にだって秘密があって、関係性を表面的に演じても、最後は「置手紙」程度で崩壊する」「もう休んでしまおう。遠くの海ですべてをほおリ投げてしまおう」「私のパースペクティブはお金だけ。報告はいらない。」という趣旨になる。

 Here we areは、男性目線に置き換えると最低の曲に思える。「そっと瞳を閉じて振り返ると、遊びが一番楽しかった。オレのさみしさや優しくしてくれるところに付け込んでやった。」「もう捨ててやったのに、「私たちはここにいるけどみんなどこ??」といっている奴がいる」「時差の関係で夜明けを大切にしている奴がいる。ロサンゼルスがある東に向いて、オレのことを祈っている奴がいる」「オレは捨ててやったが、お前の夢をかなえてやった。感謝してもらいたいくらいだ。」
 多少、論旨をつかみにくくするワードが混ぜられているがこんな感じだ。ホームページが確信犯というのは、こんなところにあるのだろう。

 劇的な復活は、as A personもお蔵入りで現在では忘れ去られた楽曲たちだ。しかし、スマッシュヒットを記録していることを誰もしらない。この曲でも華原の精神的支配の名残は、「優しくあなたを見させて、この先ずっとメモリーズ」「もうこれ以上傷ついたり傷つけあったりしたくないから、離れたわたし。あなたとは切なかったよ。苦しかったよ。」と心境を発露させつつ、「昔に戻れるよに」と綴っている。今でもそういう言動はテレビでみられる。そして結婚約束をしていたのに反故にされた憎しみを歌い続ける、誰だってそうとらえざるを得ないだろう。

 初めてのライブが開催されたのは「解放」されてからだった。名古屋ではダイアモンドホールが最初だった。もっとも、その後は電波少年へと転落していくが、Never Say Neverでメジャーに返り咲いた感じもある。しかし、現在は電波少年でアメリカデビューを目指したことは秘匿になっている。

 個人的には、華原さんは、2004年のレコード大賞で金賞を受賞したことが花道になったのではないか、と思ってそれ以降は関心を持っていません。約10年間、翻弄されたようにいれたが、そういう点はなかったかもしれない。

 考えたのは、特に、ふたりが病理的なときに製作されたとき、小室氏も何らかの精神的問題を抱えていたといわざるを得ない。それが、華原さんを精神的に追い詰めることになったのだろうか。そのイメージをいえば、二つのアルファベットが浮かぶが、キーボードのブラインドタッチで、偶然にも間違えてしまえばSCになろうか。

 精神的虐待が職業に結びついているとき、その精神的な拘束から抜け出すには、相当の時間がかかる。その期間は、ある意味人生のすべてをかけてしまったため、2~3年では、自分を取り戻す時間として不十分なのだろう。だが、忘れられないように、との想いが強すぎて、最後に彼女を守ったのは家族のように思われる。

絶頂と不調が極端であるからこそ、その背景があぶりだされたのではないか。そして、そういうところに気づいたところで、当初は自分が切っていたところアーチスト側から切られるようになったといえるかもしれない。

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